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カテゴリ:テレビ、映画
親から金魚を買うために貰った500トマーン札。
ラジェは大事にそのお金を握り締めて町に出た。 途中で大道芸人に盗られたり、落としたりと色々あったが、果たして其の金魚は? イランの巨匠、ジェファール・バナヒの1995年度の作品「白い風船」。 ジェファール・バナヒ監督は、その後2001年に香港からニューヨーク経由で南アフリカ映画祭に参加しようとした際、JFK空港で拘束された。 以下はその時、公表された文書である。 どうやら、間抜けなヤンキー共には、世界的に高名な映画監督もテロリストも全く区別はつかないようだ。 The National Board of Review of Motion Pictures様 こんな非人道的な事件が起きましたので、なんらかの対応をとってくださることを、願っています。 これは、私がいただいた「表現の自由賞」の値打ちを落とすものだと思いますが、今後の展開によっては、賞の返還を考えています。 4月15日、私は、香港映画祭にに参加したあと、UA820便で、ニューヨーク経由、モンテヴィデオとブエノスアイレスに行こうとしていました。 映画祭の関係者からは、トランジット・ビザは不要ときいていました。 念のため、香港で、UAの職員に再度確認すると、同じく不要との回答をえました。 ところが、JFK空港に到着するやいなや、アメリカの入国管理事務所の警官は、私を別室に連行し、国籍を理由にして、指紋と顔写真をとろうとしたのです。 私は拒否して、映画祭からの招待状を提示したのですが、警官は、「押捺しなければ、刑務所に入れるぞ」と脅してきました。 通訳をとおして、電話をかけさせて欲しいと頼んのですが、拒否されました。そして、まるで囚人もどきに手錠をはめられ、ほかの場所へ連れていかれました。 そこには、さまざまな国から来た男女が、たくさんいました。 私は、足にまで鎖をかけられ、その鎖を他の人間と繋ぐとともに、ものすごく汚いベンチに、身動きできないように固定されました。 そして、いかなる質問も回答もないまま、10時間が経過。 ニューヨークにいる知人に電話をかけさせてほしいと、ふたたび頼んだのですが、これも拒否されました。 スリランカからやってきた少年は、祖国の母へ電話をしたいと頼んでいましたが、これも無視されました。 そこには、メキシコ、ペルー、西ヨーロッパ、インド、パキスタン、バングラデシュなどから来た人たちがいました。 翌朝。 別の警官がやってきて、写真をとるといいます。いま携帯している写真では駄目かというと、写真と指紋採取が必要とのこと。私は、当然のこと拒否しました。 そして、1時間後。2人の男がやってきた、脅かしたのですが、これも拒否。 ついに、電話をかけることを許可してくれたので、コロムビア大学にいるジャムシード・アクラミ博士に、なにが起きたかを伝えました。 2時間後。 一人の警官がやってきて、私の写真を受け取ると、手錠のままの私を、香港行きの飛行機に乗せたのです。 私は、飛行機の窓から、ニューヨークの街を見ることができました。 ちょうど2日前に、私の新作「THE CIRCLE」が封切りされましたので、その監督が手錠にかけられていることを知ったならば、観客は、さらに作品をよく理解できたことでしょう。 窓からは、自由の女神が見えたので、私は、無意識に笑ってしまいました。 しかし、他の乗客の視線が、とても苦痛でした。 「私は泥棒ではありません。殺人犯人でもありません。麻薬売人でもありません。私は、イランの一映画監督なのです」 そう叫びたかったのですが、何語を使えばよかったのか。私には、できませんでした。 すでに16時間眠れないできた私は、さらに15時間、目を閉じても眠ることができず、苦痛にさいなまれていたのです。 ジャファール・パナヒ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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