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カテゴリ:沖縄
hiryuの写真日刊紙編集部渾身ルポルタージュ第一弾
やんばる、がんばる (山原、頑張) 米軍のジャングル戦を想定したヘリコプター訓練基地は北部の国頭郡東村高江にある。ヘリコプターを離着陸させるヘリパッドを再整備すると言って、拡大・増強しようとしている。160人の住民の安眠を妨害し、安全を脅かす事になることには心を砕かない。更にこの地にしか棲息しないヤンバルクイナ、ノグチゲラ、ヤンバルテナガコガネムシの住処を破壊しようとしている。この実状をつぶさに観察し、レポートする予定である。レポートするのは九十九龍、ブログ編集は飛龍の予定である。しかし、飛龍のブログにはやたらと龍が出没する。小説を書く廣龍が出現したと思ったら、今度は一時に九十九もの龍が来る。 レポートのために、取り敢えず事前調査と筆試しの三日間。 2009.01.16 沖縄だ 那覇空港についた。これからレンタカーを借りて辺野古・高江を目指す。相棒は前回と同じ飛龍。道中ずっと運転をしてくれる。感謝。 今日は時間の関係で佐喜真美術館、嘉手納基地第二ゲート空港通りが主訪問先である。 時間が余れば中城城跡も訪れる予定である。 佐喜真美術館に着く。明るい太陽の光の中で敷地内の亀甲墓が堂々とした風情を誇っている。 今日の美術館は常設展示の「沖縄戦の図」の他に丸木位里画伯の水墨画がテーマ展示されている。「沖縄戦の図」は瞳の描かれていない人々の哀れさ、銃剣を人々に向け恫喝するような姿勢の兵隊を見ると教育され強要された自由意志、無言の集団自決命令が滲み出ている。当時の軍国教育を知る限り、「集団自決に軍の関与はなかった」と言う言葉は信じられない。 館の屋上に上る。屋上に設けられたモニュメントは六階と二三階の階段の一番上に小さな小窓が創られており、日本軍の組織的戦闘の終わり(沖縄の慰霊の日)を現しており、六月二三日の日没線が小窓から階段を舐めて下りてくるように構造されている。 館の屋上からか普天間基地の全貌が見渡せる。ヘリコプター基地と言いながら通常戦闘機の離発着も有ったと言われており、あの超大量輸送機ギャラクシーも降り立った事が確認されている。飛行場の周りは住宅が立錐の余地もなく建っている、学校などの公共施設も121カ所以上が犇めいている2004.8の沖縄国際大にヘリコプターが落ちたときに一人の人的被害もなかったことがふしぎなくらいである。戦慄を覚える。今日もヘリコプターが離発着を繰り返している(この様は後ほど、飛龍が名カメラマンの腕を披露するかも知れない。自慢たらしいコメントを付けながら……)写真だけで有れば、一見長閑に見えなくもない。しかし、住宅地のど真ん中である。 中城城へ行く。今帰仁城の複雑な造形美、雄壮さを感じさせる石組みの確かさと比較して、中城城のそれは素朴に感じられるが、石材の切断面の平滑度や石組み技術などの確かさを感じさせられる。 嘉手納基地の第二ゲート正面に繋がる空港通を歩く。高速道路の下を潜り基地側にはいり、基地ゲートの近くでゲートの写真を撮っているとMPが来て、 「貴方は今どこにいると思いますか? 基地内に入ってはいけません」と言う。 「何処にもそのような表示は有りませんでした」と言うと、 「高速道路のところに表示しています」と言う。 「見なかった」「有りました」の押し問答。日本語が上手な東洋人。日本人かも知れない。 押し問答の末に、 「基地内ですからここで撮った写真は消しなさい」と言われ、不承不承、撮影した4枚消去。そのつもりだったが、基地ゲートの写真2枚と他の関係がない写真2枚を消去していた。興奮のあまり、コマ跳ばしをして消去してしまったらしい(残っているゲートの写真も消去しとこうかな~)。私がMPと押し問答している間に飛龍は遙か向こうに位置を移していた。自分の撮影した物は消去もせずに。MPが叫んでいる、「待ちなさい!」飛龍が待つはずがない。トットコ、トットコ。MPが私に叫んだ「あの人の名を言いなさい」私はすまして答えた。「自分で聞きなさい」 ――さあ、今日は恩納村のリゾートホテル泊だ。近くの居酒屋でミミガーを肴に残波か久米仙を飲み、ソーキそばを食べるぞー。 九十九龍 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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