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大阪の橋下知事が、また暴走を始めたようだ。
彼には以前の弁護士時代に前科がある。 他の弁護士の業務を威力で妨害した罪である。 「我こそは天下の秀才であり、私の行うことには一点の間違いもない」という確信こそは、半端な人間が陥りやすい病気である。 ワイツゼッカーは1985年の「荒れ野の40年」で 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 と述べている。 国歌・国旗の強制は、それらに反対する良心的な人々を押しつぶして、ファシズムになだれ込んだという過去があるからこそ、天皇自ら米長に国歌の強制はよくないですよと釘をさされたのだ。 ヨーロッパでは労働組合は国民のパートナーとして認知されているのだが、日本では労働組合は反社会的団体であると、橋下をはじめとする保守反動金権政治家は考えているようだ。 うがった考えかもしれないが、橋下はその妄想の元に組合潰しの先兵として国歌の強制を利用しようとしているのではないだろうか。 私は別に黒岩知事を支持するものではないが、今回は彼に一票である。 にほんブログ村 強制されて君が代「本当の愛国ではない」 神奈川県の黒岩祐治知事は17日の定例記者会見で、大阪府の橋下徹知事が君が代斉唱時に起立しない教職員を免職処分にするとの意向を示していることについて「(国歌斉唱は)強制するとか、処分だとかはそぐわない」と述べ、批判した。 黒岩知事は「君が代、日の丸に敬意を払うということは日本人として当然あるべき」とした上で「強制されて国歌を歌うとか、強制されて日の丸に向き合うというのは本当の愛国の気持ちではない」と指摘した。 橋下知事は、起立しない教職員の免職処分基準を定めた条例案を9月議会で審議する意向を明らかにしている。(共同) [2011年5月17日18時47分] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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