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風を肌に受けて体操をやった気持ちよさは、子供の頃の宝物を見つけたような気持ちでした。
それがほんとうに子供の頃の宝物だったと思いました。 今はもう失ってしまった宝物なのか、 まだ記憶の中に残って生き続けている宝もののか…。 今日もクーラーが壊れたままで、地下の劇場を代替に当ててもらいました。 野口体操教室の会場は下落合の俳・協ビルです。 上階はスタジオ、地下が劇場になっています。 その劇場のクーラーの寒いこと。 そう言えば先日行った赤坂の地下の劇場の冷房も寒くって、冷え切りました。 どちらもドライ設定にしてあるというのですが。 空調の使い方にもいろいろ工夫が必要と言いますが、やっぱり「風」にはかなわない。 板書もできないので今日はいつもと違って出席されたみなさんの要望に答えて授業を進めました。 「重さ」と「重さのながれ」が分からない、実感できない、実感したい。 「脚たるみ曲線」 「しゃがんで立つ」 とからだの動きを具体的に挙げたひとは入会されて三回目のSさんでした。 ビデオを見ての素直な感想です。 「何でああなるのか分かりません。僕の場合は完全に筋・骨を使ってやっています。」 野口先生は持っているモノを、 手から離すだけで落下するスピードと、 そのモノを手に持ったまま自分で下に降ろすスピードとを比べてみるように言われました。 どんなクーラーもやっぱり「風」にはかなわないように、 筋・骨に采配をふるってみても、「重さ」と「重さのながれ」にはかなわないのです。 「神意(自然の原理)は、重さというコトバによって告げられる」(野口三千三) からだの動きは、 「思い」なしには動けるものだはありませんが、 「思い」が自然の原理を無視したとき何が起こるか、 これもしかと実感して思い知らねばなりません。 何かを達成しようとするより前に、その方が先かもしれない…。 稽古も生きものなので思わぬところに動いてゆきました。 それでも「重さ」と「重さのながれ」は外しません。 どう動いて行こうが外れようが無いからです。 からだの動きは「重さ」という「自然の原理」で成りたっているのですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jul 2, 2011 06:37:55 PM
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