【☆★大阪で野口体操を★☆】――「健康」な放課後のひと時
お盆休みで一週繰り越した大阪教室は、異常ともいえる酷暑の真っ只中で開催されるだろうと、腹を決めていました。しかし、突然、異常な涼しさの中での大阪教室となりました。この暑さもこの涼しさも、やがて語り草にしたいほどの激しい変化でした。このまま秋が来るはずもなく、またすぐに茹だるような蒸し暑い日が待っていましょう。この差について行くからだを考えると途方にくれる人たちもいます。今日の主題は「健康」としました。「健康」は、毎日の暮らしを生きる感覚そのものの中にあります。一人ひとりの感覚よりも、食べ物から養生訓、そして溢れかえる健康生活用品。健康食品にいたっては、一錠の中にキャベツ10個・レモン15個・人参10本分……,などと得意げに並べ立てられると、毎日いっときに、何でそんなにからだに入れる必用があるのか、笑ってしまいます。「健康」の定義さえも他人から与えられています。「健康体操」もまた同じです。「ここまで足を上げて一日何回」「コノ筋トレ何回で、ココに筋肉をつけて、ココを強くすればココが治る」何ゆえ自分自身の実感無しに決めてもらい、実感無しに回数をこなそうとするのか。「健康とは、自分自身の価値観(今の自分にとって、よりよい、よりほんとうとは何かということ)を持ちうること、そして、それに従って行動することができることをいう」(野口三千三)「健康」について根こそぎ捉え直してもらいたいと思いました。健康と生きることは直接繋がっています。「健康とは」を考えることは「生きるとは」を考えることであり、「どう生きるか」は、「どうからだの動きをするか」へ繋がります。からだの動きが変われば生き方が変わります。癌の母上を、お盆に看取ったばかりのYさんがお出でになりました。緊迫した苦しい選択を迫られながら、ぎりぎりの毎日を送ってこられたYさんのからだの動きを見ながら、野口体操の意味を強く感じました。いつものようにロビーでの放課後の時間も、いつものようにYさんはそこに座っていました。その席でわたし達は、Yさんの経験から学びました。どう死んでいくかはどう生きてゆくかだと。「『健康という病気、『健康という死』こそ、幻想ではなく現実に存在するほんとうの健康ではないかと思う」(野口三千三)今ここで、Yさんと共に、こんな厳しくも優しく「生・死」を語り合うことができるようになったのでした。からだの動きで確かめられた「健康」は、「健康」な放課後のひと時となりました。