誰かが言い出さないかぎり
今日から八月で、八月となればデイケアでも納涼大会が行われます。その日の楽しみになれば、と単純な踊りを用意しました。勿論このままでは物足りなくて通用しません。もう少しだけ踊りの振りを加えて、それが音楽に乗れば、もう立派な夏の踊り・盆踊りになります。でも、ここが大切なポイントなのですが、これが盆踊りとして用意されていることはメンバーは知りません。「コレ、盆踊りになるじゃない、ね?」 と誰かが言い出さないかぎり、「もうちょっと加えるだけでやれちゃうよ、ね?」と思う人がいないかぎり、「やれると楽しいよね、キット。」と一人でも乗り出さないかぎり、この盆踊りはたち切れです。メンバーに元ダンサーだったひとがいて、彼女はからだがよく利きます。世話好きだし女性のリーダー的存在でもあるし、その気になってほしいと願っています。先に楽しい目的があれば、楽しく毎日からだを動かすことができるのではないか、という秘かなもくろみもあるのです。と言うのも実は、このところデイケアの女性メンバーはみんなかなりの肥満です。このまま太り続けることを思うと恐ろしいものがあり、何とかからだを動かすプログラムを用意するしかないところまで来ています。かつて、この病院のデイケアを立ち上げた精神医療の専門家から教えを受けたことがあります。「殊に女性の統合失調症患者は太って安定する。どういう訳か、論理的な根拠はないが、そうである。」その具体的な患者さんも実在しており、納得の行く現実に基づいた考察として受け止めていました。しかし今のこの現実は良い結果としての肥満には見えません。生活の乱れが更なる悪しき習慣を作り出し、食べずにはいられない不安定な悪循環を生み出してしまっているのです。そんな気になってくれるひとはいるだろうか…。いつも傍に入られないのだから、もう少し口出し手出しの援助をしておくべくだったのではないか。スタッフとの連携も欠けている。過分な期待をし過ぎているのかもしれない…。踊りはここまで出来ているのに…、その楽しさも分かったはずなのに…、のに…、という諦めに似た残念さが過ぎります。月に一回だけの関わりしか持っていません。月に一回だけのイベントでしかないのかもしれません。それでも、からだの動きが「自分自身のからだを優しく労わることとはなにかを探険する営みを体操という」(野口三千三)に繋がってほしいと祈るような気持ちです。