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2010.03.19
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大黒俊二『声と文字(ヨーロッパの中世6)』
~岩波書店、2010年~

 2008年11月から刊行が始まったシリーズ「ヨーロッパの中世」の、第8回配本(完結)です。
 著者の大黒先生は、大阪市立大学大学院文学研究科教授で、中世イタリア史を専門としていらっしゃいます。特に、中世の商業観や説教活動・説教史料といった領域の研究を進められています。
 本書以外に、次の単著を発表していらっしゃいます。
大黒俊二『嘘と貪欲―西欧中世の商業・商人観―』名古屋大学出版会、2006年
 私は西欧中世の説教活動について専門に勉強してきていることもあり、その分野を精力的に研究していらっしゃる先生の新刊である本書『声と文字』の刊行を、ずっと楽しみにしていました。シリーズ最後の配本で、毎月刊行予定だったところが本書はずいぶん第7回配本から時間をあけての発売となったこともあり、楽しみがずっと先延ばしになっていた状況ですが、待った甲斐がありました。興味深い事例が豊富に紹介され、ときには大胆な(もちろん説得力に富む)仮説・提言があり、知的興奮を得られるだけでなく、文体もやさしくてぐいぐいと読み進めることができました。 さて、本書の構成は以下のとおりです。

ーーー
序章 シエナ、一四二七年八月一五日
第一章 ラテン語から俗語へ
 1 バベルの塔の崩壊
 2 ラテン語からロマンス語へ
 3 ゲルマン語の発展
 4 島の外国語
第二章 カロリング・ルネサンスの光と影
 1 神の言葉のルネサンス
 2 カロリング・ルネサンスの光
 3 カロリング・ルネサンスの影
第三章 ストラスブールからヘイスティングズへ
 1 なぜヘイスティングズなのか?
 2 「両言語で」―ラテン語と古英語
 3 分かち書きと黙読
間章 大分水嶺
第四章 実用的リテラシー
 1 数の証拠
 2 形の証拠
 3 一四二七年フィレンツェ
第五章 声と文字の弁証法
 1 剣vs.羊皮紙
 2 記憶vs.忘却
 3 文字を知る人vs.文字を知らぬ人
第六章 遍歴商人からもの書き商人へ
 1 ゴドリクとギスツェ
 2 シャンパーニュの大市
 3 商人教育
 4 もの書き商人
第七章 文字のかなたに声を聞く
 1 異端とリテラシー
 2 説教本
 3 声から文字へ―筆録説教
 4 文字から声へ―範例説教
 5 「オリジナル」とは何か
第八章 俗人が俗語で書く
 1 二重言語体制のゆらぎ
 2 ミクロ流通本
 3 間接的リテラシー
 4 旅の終わりに―二人のベネデット
終章 母語の発見

参考文献
索引
ーーー

 序章では、ベルナルディーノ・ダ・シエナという有名な説教師が行った説教を、一字一句正確に書き留めたベネデット・ディ・マエストロ・バルトロメーオの記録を取り上げます。説教師が準備して手元においている「文字」をもとに「声」である説教を行い、その「声」を聞く人が書き留めてそれを「文字」として残す。そして、説教師はラテン語で文字を書き、ラテン語で書かれた文字をもとに俗語で説教を行い、俗人であるベネデットは俗語でメモを書き留めていく。…こうした状況から、本書が扱ういくつものテーマが提示されていくという興味深い構成で、序章から一気に本書に惹きつけられました。

 その後は、最初の3章が、いわゆる初期中世(それは、声が優位にある社会でした)の「声と文字」について、通時的に論じ、間章で文字が優位にかわっていく11世紀を「大分水嶺」と位置づけた上で、その後の5章は11世紀以後の「声と文字」をめぐる状況を、いくつかのテーマ別に見ていく、という構成をとっています。

 以下、興味深かったことを書き留めておきます。

・カロリング・ルネサンス、ルネサンス、ヘイスティングズの戦いといった歴史的事件(事象)が、「声と文字」という観点から見ることで、いままで見えてこなかった側面が浮き彫りになるのが、とても興味深かったです。
 たとえば、1066年のヘイスティングズの戦い(いわゆるノルマン・コンクェスト)。それ以前、古英語は書き言葉として標準化され、洗練された作品も生み出していました。ところが、ノルマン人の征服により、書き言葉としての古英語は放棄されてしまいます。標準化された書き言葉を失った古英語はふたたび声の言葉として方言に分裂してしまいます。歴史に「もし」はないといいつつ、あえて、もしノルマン・コンクェストがなければ、今日の英語の姿は、今日話されているものとはまったく違ったものであったろうという大黒先生の指摘は、実に興味深かったです。

・自分の権利を証明する手段として、文書の力が増大してきますが、剣などの象徴的なモノも、権利(記憶)を証明する手段とされていたというのも興味深いです。さらには、「文書拾い」という儀礼が指摘されているのも面白いです。こちらは、土地を譲渡する際に、白紙の羊皮紙をその土地の上において、それから拾い上げた後に、譲渡の文言を書くという儀礼だそうです。また、文書自体が権利の証明となるという象徴化が進んだ事例として、「無文字文書」にもふれられています。こちらは文字通り、王が臣下に命令を送る際、白紙の文書を送るという慣行だそうで、初期中世に行われていたとか。これらは第五章第1節でふれられている事例です。

・商人は、各地を遍歴して仕事を行う存在から、文書で仕事を行う存在へと、その性格を変えていきます。文書で仕事を行うとなると、とうぜん読み書きの教育が必要になってきます。その事例として、商人を志して勉強していた息子が、悪い友達と遊ぶようになって、結局は商人の道を挫折してしまったということを書いているある父親の日記が紹介されていて、面白かったです。 15世紀にもなると、文字を書くのは聖職者や一部の知識人だけにとどまらず、俗人たちもそれが可能になっていますので、こうして日記など(研究者は、「覚書」と呼んでいるようです)も多く残されています。これらの史料を用いれば、当時の生活のあり方が詳しく浮き彫りにできるでしょうね。

 読了から感想を書くまでに時間があいてしまったので、今回は簡単ながら、このあたりで事例の紹介を終えたいと思います。

 上でルネサンスなどの新しい側面が見えてくるということを書きましたが、本書は初期中世から近代の入り口までを通時的に見ていくことによって、歴史のダイナミズムを生き生きと伝えてくれます。
 研究を進めていると、細かい事件(事例)に没頭するあまり、なかなか大局が見えなくなってしまうので、注意が必要だなぁと思いますが、それはともかく、歴史を勉強する楽しさをあらためて感じることのできる一冊でした。

(2010/03/07読了)





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Last updated  2010.03.19 07:03:29
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