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2010.07.01
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土屋賢二『もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について』
~岩波書店、2007年~

 岩波書店から刊行されている叢書「哲学塾」のなかの1冊です。土屋先生は、お茶の水女子大学の哲学教授で、ユーモアエッセイも多く出版されていらっしゃり、「笑う哲学者」の異名をもちます。そんな土屋先生が、哲学とはどんなことを考える学問なのか、その一端を分かりやすく伝えてくださる一冊です。
 本書は、プラトン『アルキビアデス篇一』から、ソクラテスがアルキビアデスを口説く1節を読んで、その口説き文句を嬉しく思うかどうか、というテーマで行われたゼミを基に記されています。

 その口説き文句を、土屋先生は冒頭で次のようにまとめています。
「わたしはあなたの顔も性格も嫌いですが、あなた自身を愛しています」、と。
 では実際、ソクラテスはどうしてそのように言ったのでしょうか。
 彼はまず、ハサミを使う人(A)と、使われる道具であるハサミ(B)は別である、といいます。A≠B、ですね。
 次いで、人間(A)は手を、あるいは体(B)を使う、といいます。先のハサミの例から、人間は体ではない、ということになります。そして、心が体を使う、ともいうことができます。そうすると、心=人間、ということになる。そうすると、誰かを愛するとき、体(外面)を愛するといっても、それはその人の服や財産を愛しているのと同じようなことで、その人自身を愛していることにはならない。誰かを愛するとは、その人の体は問題ではなくて、その人自身を愛している、ということではないか。…と、こういうのですね。

 そもそも、その人の体を問題にすることなく、その人自身を愛するということがピンとこない。このように、学生さんたちはソクラテスの言葉に疑問を感じます(私も、テキストを読んで、この議論には問題がある、と感じました)。そのもやもやとした疑問が、議論を交わす中でしだいにはっきりしてきて、そしてソクラテスの言葉に反証をあげていく過程は、知的興奮に満ちていて、とても楽しい読書体験でした。
 最後の方では、『ツチヤ教授の哲学講義』などでも述べられている、哲学的問題がことばづかいの誤解から生じていく、という論点もあげられていて、興味深かったです。
 本書のなかで特に面白かったのは、心はどこにあるか、という問題を考えるくだりです。先生は、心はどこにあるか分からない、といいます。それはなぜか。というのも、世の中にはどこにあるか分からないものはたくさんある。中でも、「5という数字がどこにあるか分からない」という説明に、なぜかものすごく感動しました。なんというか、これですとんと納得できたのです(高校生の頃には論理的思考よりも感情的なものの方が先走ってしまっていたので、無理だったでしょうけれど…)。そして、このようなものについては、どこにあるかと問うこと自体ができない、とおっしゃるのですね。

 全体で150頁ほどで、実際に行われた議論(対話)形式なので読みやすく、2時間弱ほどで一気に読んでしまいました。しかし、上にも書いたとおり、短い時間の中でものすごく知的興奮が得られ、考える楽しさを味わうことができました。
 素敵な読書体験でした。

(2010/06/06読了)





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Last updated  2010.07.01 07:19:44
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