カテゴリ:創作
感じるのは、人間の悲鳴とかすかな血の臭い。彼は、それが当然のように目を開けた。 記憶など無い。心など無い。ただ一つ、肉体だけを持った悪夢。「人殺し」という言葉しか、当てはまらないような暗黒。 それが、彼だった。 The End of Splatter Boy 暗闇の中で、覚醒した。 まとわりつく重さと揺らぐ視界で、ここが水中なのだと気がついた。視点を上げると、丸く漂う淡い光が見える。月だ。つまり、水面だ。不快感を取り払う一心で、光に向かってもがくように泳ぐ。 空気の冷たさを感じ、周りを確認する。陸はそれほど遠くない。少し泳げば、すぐにたどり着くだろう。ここは、沼か? いや、湖だ。私は湖に沈んでいたのだ。 「先に行くわよ」 「おーい、待ってよー」 若い男女の声がした。楽しげに笑いあう、わずらわしい声が。 シ ヲ 私の頭を、ある言葉が埋め尽くす。冷たい手足に、活力が沸いてくる。 リ フ ジ ン ナ ル シ ヲ そうだ。死だ。私は、彼らに死を与えなくてはならない。苦痛と嘆きと悲しみを伴う、深い絶望を与えなければならない。 私は、そのために生まれたのだ。 「気持ち良いわ! 早く来なさいよ!」 お酒が入っているせいか、服を脱ぐのももたついている彼を、私は天使のような笑顔で呼ぶ。彼には差し詰め、美しい人魚のように見えているだろう。親のすねかじりが大好きな坊や。いいカモだわ。 はにかんだような笑顔を返す彼。もう、私の虜みたい。自然といやらしい笑顔がもれそうになり、あわてて気を引き締めた。その程度で彼の気持ちは揺るがないだろうが、用心しておいて損はない。 せいぜい尻尾を振ってちょうだい。このキャンプ場のコテージを一つ、息子にプレゼントしてくれるお父さんなんだもの。息子の恋人にはどんなものをくれるのか、考えただけでも楽しみだわ。 頭の中で貢物リストを描いている私の足に、何かが触れた。 細い足首を掴み、一気に引きずり込む。何が起こったのかわからないのであろう、じたばたと水面を目指しもがく女の太ももに、湖底で拾った釘を刺した。 ぼこぼこと泡の出る音と共に、甲高い叫び声が混じる。太ももから鮮血が糸のように流れ出た頃、ようやく足を掴まれていることに気がついたのか、女は私を見た。瞬間、痛みに苦しむ顔は恐怖の表情に変わる。叫び声がさらに酷くなり、静粛であった水中は、キンキンと耳鳴りのする騒々しい空間に変貌した。 首を掴み、顔が良く見えるよう引っ張る。女は既に白目を剥き、ひたすらに手足をもがいている。私はもう片方の手を頭にやり、首を握る手に力を込めた。 木の枝をへし折るような、心地よい振動が水を通して伝わった。女は目を見開き、そのまま動きを止める。鼻から細く血が流れ出し、ゆらりゆらりと揺れながら、水の流れのままに遠ざかっていった。 水面に顔を出す。辺りにはもう誰もいない。どうやら、男は逃げてしまったようだ。まあ、いい。姿は見られていないはずだ。チャンスはいくらでもある。私は、ゆっくりと岸へ向かって泳ぎだした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 30, 2007 12:54:58 AM
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