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カテゴリ:論文執筆にむけたメモ・つぶやき
終戦記念日になると、いろいろな戦争についての言論がかわされます。 戦争というものを、僕がいつも気になっている国家と個人の関係で考えるとき、どうしても、太平洋戦争というものを土台として議論になってしまうために、戦争は何だったのかということについての落ち着いた議論がないように思われます。 天皇に戦争責任があるかどうか、日本の侵略があったかどうか、無条件降伏か否か、東京裁判が妥当であるかどうか、、、、。 でも、一庶民である自分が気になるのは、戦争はしたくないという庶民の気持ちが今存在し、かつ、昔も存在していたとしたならば、何故、みなが思っていなかった方向に社会が動いたのかということです。 国が総力をあげて戦争に至るというのは、国家を一人の人間(王様)が所有していた時代ならともかく、一応個人というものが確立した時代においては、なかなかに難しいものと思われます。 それが、何故昭和初期の日本にできたのか?という点について、考えることは価値あることだと思います。天皇制、不完全な民主主義、空気になびく市民性、マスコミの御用新聞化、帝国主義へのあこがれ、ゆがんだ教育とか、いろいろあると思いますが、とにかく、国民のほとんどが積極的な反対はしなかった(事実であれば)ことは、不思議に思います。 当時の社会的状況のなかにいない僕がえらそうには言えないのですが、ここで考えてみたいのは、その当時の人の是非ではなく、その当時の人が国というものをどう考えていたかということと、それと比較して私たちはどう考えているかということです。 当時の国家論について知ることといえば、美濃部博士の天皇機関説が糾弾されたことぐらいですが神聖な天皇を国家としていた時代ならば、理解は可能です。 そして、今の時代、おおくの庶民は、国というものをどう考えているのでしょうか? 私は、最近、国というのは、ただの道具(同様に、地方自治体も)だと考えるようになりました。天皇を国家と言い換えれば、国家機関説(国はただ社会的サービス提供のためのツールという意味)です。 だから、国家のために死ぬとか生きるということは、ナンセンス(道具のための生死をかけるのはおかしい)だと思うのです。 が、国というのは、行政組織面ではただ社会的サービスをするところかもしれませんが、国家というときには、そうした執行組織だけでなく、文化性や一人ひとりの個性と人格の集合体という意味合いも含まれます。そこが「機関」としては捉えられないところであり、戦前は、そこが神聖な部分であるのでしょう。 国家公務員というのは、国の行政サービスに従事する事務吏員という意味をこえて、国という政治的行政的文化的な総体に対し奉仕するという意味があり、そこが、若い人が国の役人を目指すやりがいということにもつながるのだといえます。 しかしながら、 まさに、国というものを、不可分な総体とみなし、それを維持運営することを、役人(装置としての組織と人間)に委ねたことが、直感的ですがよくないことだと思います。 あくまでも、国という総体は、個人それぞれの考えと価値観がルールのもとで統合されて維持されるべきものであり、装置の側からコントロールすることは危険だと思います。 戦争の一つの原因は、個人個人が日本を動かす意思がなかったこと(与えられた天皇制度に従属する意思をもってしまっていたこと)にあります。これからの日本を平和な国にしようと思えば、それは、装置である役所が考えるのではなく、私たち一人ひとりの責任と自覚からはじめなくてはなりません。 地方自治においてもまったく同じであり、地域という社会総体は個人個人によって生まれるべきものです。それが「自治」なのではありませんか? 今、あらためて自治が問われています。 国という大きな単位を私たちが考えていくことはちょっと難しい。むしろ、地域というものをつくりあげる意識と行動があり、その積み上げの上に国というものを考えるのが妥当でしょう。地方自治は民主主義の学校とはよくいったものです。 そんなことを感じた終戦記念日の翌日でした。
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