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NPO法人 福岡気功の会

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2008年07月25日
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私は街に出ても、特別な用事がなければ、ほとんど素通りで、ちらりと立ち寄るところは、本屋、文房具屋、あとは…デパ地下の和菓子売り場、紅茶売り場。わざわざ行くのは映画館と美術館、図書館…ぐらいで、酒場もレストランもここ十数年入ったことがない。
映画は、最近は行く。

東京出張の折り、『1978年、冬』という作品を観た。先週『靖国』、今週『マンデラの名もなき看守』。

いずれも、ちょっと話題になった映画で、『靖国』は作品自体のレベルが低かったこともあるが、近頃珍しく乗れない作品だった。『1978年、冬』も『マンデラの…』も、自分はその当時どこで何をしていて、世界をどう把握していて、だけど、実際はこうだったのか…と、対比的に考えることのできる作品として、私自身にとって意味のある映画であった。二本のドキュメンタリーな劇映画が示した「現実」は、私の想像をはるかに越えてシビアであった。歴史は個人を圧倒する、とでも言うのか、凡人は、立っているのがせいいっぱい、と言うべきなのか、今、日本も世界も、歴史の大きな曲がり角にさしかかっているわけだから、なおのこと、目を凝らして見ていたいと思うのである。

備忘録風に、上記の作品の、印象深いシーンを再録。
1978年。文革が終わったがその余韻の中にある疲弊した貧しい田舎。それをロングスパンで捉える。枯れた殺風景。スーピンに、背の低い器用な友人がいる。ミシンを持ってきて、歯切れを縫い合わせて、北京から来た美少女の嘘を糊塗するために、ダンスの衣装を作ってやり、彼女にそれを着せて、スーピンはレンタルのカメラでその姿を撮ってやる。彼女はその写真を文革で失脚させられた今は病身の父親に送ってやるのだ。あの、文字どおり脇役の、背の低い器用な青年の、人の良さが実にいい。
1978年、私自身は、この年、東京から福岡に転居して、家族生活を始めた。あの空っぽの感じとこの映画の、あるようで何もない希望の感じが、どこか似ている。
時代が少しずつ、アパルトヘイトを囲い込み、獄中のマンデラを含む黒人闘士の境遇を改善するために移監させる。そこで4人の闘士はアカペラで民族の歌をハモる。その歌声ががらんとした天井の高い監房に響く。もう一つ、最後の刑務所で境遇のぐんと改善されたマンデラが、主人公である刑務官のグレゴリーと、棒術でチャンバラをするシーン。グレゴリーの脳裏に幼き日に黒人少年バファナとチャンバラで遊んだ記憶が甦る。この映画、最近のタイトルが英語をそのままカタカナにしただけのぶっきらぼうの作品が多いが、この原題は「グッバイ、バファナ」なのだ。





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Last updated  2008年07月26日 01時08分59秒



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