カテゴリ:ちょっとH?
18日の日記で「長岡市の森市長が地震の土砂崩れで2人が犠牲になった長岡市妙見町の現場を「震災メモリアル拠点」として保存し、慰霊碑が建設する」という構想を発表したということを書いた。
ところが、新潟の地方新聞『新潟日報』の投稿欄に、 「崩落現場、むしろ風化望む」として。尊い命が奪われた自然災害のつめ跡としか見えず、はっきりいって見たくない。出来れば忘れたい。風化させたいとと思っていると反対意見を述べている。 なるほど、被災者の中には、もう悲惨な光景を目にしたくないという気持ちもあるとしたら、それもまた大事なことかなと思った。 でも、広島の原爆ドームと同じように考えることが可能なのかどうか。 もうひとつ、全く知らなかった事実を突き止めた。 この崩落現場は地震で発生した災害ではあるが、地元のひとには「起こるべくして起こった災害」というひともいるという。 現場は昭和20年の終戦前、兵器製造工場として岩盤の山に極秘で洞窟を掘り始め、多数の人員で昼夜区別なく穴を掘り進んだ、穴の中で硬い岩盤に当ると、ダイナマイトも使用したという。山は洞窟がクモの巣のように掘り進まれ、今でも山腹の地表にには空気抜けの穴が数カ所あり、下からの冷気が流れ出ているそうである。 すぐ側に流れている信濃川の水面には兵器を船で運ぶ積み出し口が多く確認できる。 崩落の中心には、車が十台入るほどの洞窟があり、ナツにはドライアイスのような白い冷気が路面に流れていたという。 このような状況から判断し、モニュメントとして残しても偽りの現場になるのでは?という。はてはて、何だかこの構想、怪しくなってきたが、どうなることか様子見ということにしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月22日 18時25分01秒
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