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ちょっと古い話になるが、第二次世界大戦前のアメリカで洗濯機が初めて売り出された。
それまでは手でいちいち洗っていたのだから、それは便利だと大評判になった。 しかし、とくにお金がなくて買えないという状況でないのになぜか売れ行きはさっぱりだった。 その理由を洗濯機メーカーが調べて見てわかったことは、次のような理由であった。 当時のアメリカでは専業主婦がほとんどで、手洗いの洗濯は家事のなかの大きなひとつであった。 そこで便利な洗濯機を使うかと思いきや、家事を手抜きしていると思われるのではないかと心配して、なかなか踏み切れないでいたのである。もしかすると、手抜きという罪の意識から抜け出せなかったのであろう。 そこでメーカーはいかにして主婦から買ってもらうか知恵をしぼった。 そして次のようなことをうたい文句にしてアッピールした。 『洗濯機は手で洗うよりも清潔に洗えます』 『空いた時間で、今よりももっと家族に尽くすことが出来ます』 このメッセージは効いた。 これによってアメリカの主婦たちは、洗濯機を購入する大義名分を手に入れたのである。 これ以後、急速にアメリカ社会に洗濯機が普及したのはいうまでもない。 私たちはたとえ新しい物やシステムが登場し、それが便利だと分かっていても、これまでの価値観に縛られ、どうしても保守的になってしまう傾向がある。 そんなとき、いままでの自分の考え方を払拭するための「免罪符」が与えられると一気にことは変わって来る。 この免罪符で「これ(システム)を利用することで、あなただけでなく、みんなの幸せにつながる」という大きな理解が得られるのなら、個人の小さな罪の意識は消えてしまい、「みんなの幸せが優先」という意識に変わって受け入れはスムーズに進行する。 この原理は、これからも通用するだろう。 「僕だけの幸せのためでない。君と共々に幸せになるために・・・」と言って口説き落とした経験者もおられるのでは? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月01日 21時59分29秒
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