カテゴリ:心に残る一言
誰かを犠牲にしては、
幸せになれない。 誰かの犠牲になることで、 幸せになれる。 こんな言葉を述べている書籍があった。 古代マヤ族では、いけにえの風習がありました。 いけにえを選ぶ試合が、神様の前でおこなわれました。 いけにえになるのは、試合で負けたものではありません。 試合に勝ったものが、いけにえになりました。 ひとの犠牲になれる人が、かみさまになれるのです。 といって、私は生け贄 になるのはまっぴらご免蒙りたい。 でも、日常生活の中では、結構犠牲になっていることを文句も言わずに実行しているように思う。 どちらかといえば、家族の中での犠牲が主であるが。 でも、これを犠牲という大げさな被害者意識がないから出来ること。 もし、苦痛であり、嫌で嫌でたまらなかったら継続は出来ないはず。 犠牲になって報酬を得ようという気など全くない。 人と人との付き合いは、これがあって初めて信頼関係が生まれるのではなかろうか。 今日は、ちょっとお固い内容だったかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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