カテゴリ:仙台
先日の記事に、東北大学の教養部がかつて三神峯にあったことを記した。
■関連する過去の記事 三神峯と東北大学(2015年1月18日) 別の文献から改めて記したい。木村孝文『太白の散歩手帖』(宝文堂、2001年)による。 三神峯は多賀神社の社有地で、大正時代頃までは部落民の遊園地としても利用され茶屋まであったという。昭和10年には北側が陸軍省の用地となり、陸軍幼年学校が建設され、昭和12年復活開校、終戦まで陸軍将校となるための基礎的な教育をした。 陸軍地方幼年学校の前身は、榴岡の現五輪一丁目の地に、明治30年開校された陸軍将校養成の学校で、大正13年軍縮で閉校になった。14歳の少年が入校し、3年間の教育を受け、上級の陸軍士官学校に進んだのだった。 終戦後、三神峯の幼年学校の建物は文部省に移管され、北六番丁で戦災消失した旧制二高が移転してきた。昭和25年学制改革により旧制二高は東北大学に併合された。三神峯の校舎は、東北大学第一教養部の校舎となった。第一教養部は昭和30年頃から川内に移転したので、その跡に東北大学理学部の原子核理学研究施設が公園の北東に建てられた。 旧制二高の明善寮にも使われた旧幼年学校の建物は全部壊された。三神峯には、幼年学校「雄大剛健」の碑、二高尚志の碑、明善寮懐旧の碑が建立されている。ほかに、多賀神社社有地の標識、聖徳光波の碑(明治天皇行幸記念)、造林記念の碑、大正天皇(東宮時代)行啓記念の松、造林記念の碑(重複に見えるが原文ママ)もある。 三神峯には昭和2年から八木久兵衛氏の寄付により33種350本の桜が移植された。昭和42年からは三神峯公園となり、春には早咲き遅咲きの花が1か月あまり観客を楽しませる。 ■関連する過去の記事 西多賀を考える(07年5月23日) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.01.22 22:31:17
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