カテゴリ:宮城
東北開発の一大事業であった野蒜築港跡も、震災を経てかなり様相が変わっている。築港跡のさらに「跡」を訪ねました。
新市街地だった三角地域の先端に、公園や「築港跡の碑」があったはずですが、探そうにも、堤防工事の関係で立ち入りできません。おそらく津波で消失しているのではないかと思います。 三角ゾーンの中程では、測候所の碑が残っています。 、 碑には、東北地方気象官署発祥之地 野蒜測候所跡 とあります。裏には 昭和二十年六月一日 仙台地方気象台長 森田稔 建之 昭和四十九年三月一日 仙台管区気象台長 佐々木治 修復 と刻まれています。 ところで、やや離れて(画像の左手)、数枚の石版が平積みのように積まれています。よく見ると文字が刻んであります。 明治十一年東北地方開発の先鞭たる野蒜港建設の議興るや...とか、石巻市中央一丁目 石工 阿部.. など ネットで震災前の碑の画像を見比べてみるとわかりますが、数枚の石は、立碑を支える台座の石だったようです。津波でバラバラになって、おそらく立碑も倒れたのかも知れませんが、探し集めて、ここにまとめて置いたようです。 煉瓦の門柱は明治当時のものとのことですが、無事だったのでしょう。 やや離れて、石製ローラーと起功之碑、そして松の木です。ここも、復元作業があったと思われ、看板は新しいように感じられます。松は少々痛々しいです。 三角地域から浜市方面に戻るとき、気づきました。新鳴瀬川部分に残る煉瓦の橋台跡です。これもよく写真が出ていたやつですね。 一面が土色の平面世界になってしまうと、場所や位置関係がわからなくなります。看板や説明板はもちろんですが、建物や樹木があったり、川土手の緑や田畑の雰囲気なども含めて、色や三次元的質感で人間は地理を認識したり記憶することに、改めて気づかされたりします。津波被災地に共通のことです。5年目の春を迎えても、なお。 (編集長のガラケー画像の見苦しさ。ご容赦ください。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.05.08 10:33:43
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