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カテゴリ:つぶやき
川崎〜横浜をうろちょろする。 雷雲が目測20キロ先にあって、自分の部屋があるあたりは豪雨なんだろな、と思いながらファミマで買ったパンを齧り、タバコをふかす。 海水は茶色で、泥が河川から流れてきたのか何なのか。 水面ではイナっ子がパチャパチャしている。 いつもの場所に移動する。 20時を過ぎたあたりで強風に変わる予報。 途中で雨も降ってくる。 先行者が帰るのを期待しながら釣りしてみる。 だけど、入りたいポイントにいる人たちは帰ろうしない。 そういえば三連休の中日。 まぁ、仕方ないと、水筒に入れてきたホットミルクティーを啜りながら、たまにジグヘッドを投げる。 どうもアジの群れは小さいらしく、アタリは数度あるけど釣れる感じがしない。 粘ればどうなったのか分からないけど、面倒になって帰る。 今年は、佐渡やら北海道に行ったり、徳島に帰ったりしたからか、どうも都内近郊で釣りをする気が、正直それほどおきない。 理由は、人の多さ、水質の悪さ、ロケーションのパッとしなさ、とか色々あるけど一番は釣果。 なんだか、どうせ釣れないし別にいいか、と思ってしまうことが多い。 というか、単なる田舎と都会のギャップにまだ感情が追いついていないのだろう。 ところで、動画にも日記にもしてなかったけど、8月に道志村やら奥多摩に行ってみるけど、不意の雨に降られたり、行き帰りの渋滞であったり、釣りをする前にやる気を削がれ、ただバイクを走らせたことが何度かある。 バイクは釣りに次ぐ趣味なので、それはそれで楽しいから良いのだけれど。 でもやっぱり釣りしたい。釣りしたいけど、人が多いとこは嫌だし、汚いところは入りたくないし、魚のいないところには行きたくない。 やっぱりこの考えは我儘だと書いていて分かる。 そもそも、1時間2時間かけて釣り場に行くということが、それでとくにパッとしない釣果だということが、精神的に許容できないだけなのだ。これでは費用対効果を考えているだけで、釣りは楽しい、という純粋さは皆無だ。 書いていて思ったのだが、そういう考えをしていた例で決定的なのは帰省したとき甥っ子と吉野川ハゼを釣りに行ったときだ。 小学2年生とのんびり釣りすつもりで行ったのだが、釣れないと思うやいなや、すぐにポイント移動。 結果、釣果に恵まれなかった。 なんとか甥っ子には釣ってもらえたのは良かったが、調理して食べてもらうまでには至らなかった。 いや、そういうことじゃない。食べてもらうとか、釣ってもらうとか、どうにかして楽しんでもらおうと考えるのは正しいのかもしれないけど、それが独りよがりになってしまっていることが問題なのだ。 何か色んなことに、やる気が起きない原因はこのあたりにある気がする。期待がただの自分勝手な願望に変わっている気がする。 もっと自分の気持ちに正直にならなければならない。 ……キャンプして釣った魚焼いて食べたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.24 23:49:35
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