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テーマ:今日の出来事(289262)
カテゴリ:メンヘラー!
一番最初はテレビドラマでの台詞だったか、誰かのブログだったか忘れてしまったが、けっこうベタな言葉にこんなのがある。
『神様は乗り越えられる試練だけを与えてくれる。』 どんなにつらい状況であっても、それはその人の力をもってすれば乗り越えられるはずだ、といった考え方だ。神様はすべてお見通しなのだがら、当人はどんなにヘヴィであっても神様の期待に応えなければならない。 神様というのはキリスト様を指す。 「んなあこたない!」とタモさんのごとくリアクションしたくなる。 これまでに試練を乗り越えられずに朽ち果てていった子羊達が何億人いたことやら。 例えば私はうつ病に患い苦しみながら、本日カードケースを紛失していることに気付いた。健康保険証、クレジットカード2枚、キャッシュカード2枚の入った、私の生活における命である。現在、アパートと実家での二重生活を送っている私は、お気に入りのバッグにこの生命線となる物品を入れて持ち歩いている。 財布を使用する際に毎度そのバッグを開く。バッグに中身は正常時ならば整頓されているが、バッグの中身は私の心のうちを反映して雑然とし、自らその内訳が把握できていない。 カード入れをどこで落としたのかがわからない。 わかれば無くすこともないが。引きこもりの私の行動範囲は大変狭くて、落としたと思われる場所は近所のファミマと診療所近くのデイリーストアくらいだ。 アパートでもう一度探して、なかったら警察に届けようかと思う。 カード会社と銀行に再発行の手続きをしなければならぬが、現在の私にはバタフライで500メートル泳ぐことよりも困難である。そんな面倒なことはゴメンだ。 私は実家にないことを知って、どうしたかといえば、ベッドに横たわって最近買った新譜を聴いていた。記憶を丹念にたどりながら。この期に及んでも、どこかで外で落としたのではなくて、どちらかの部屋にあるという気持ちがある。 また、行動範囲が極端に乏しいのでここ数日間に行動した店に出向いて尋ねれば見つかるのではとも思う。もしも誰かが拾っても横領はされないんじゃないかとも思う。現金じゃないし。保険証により身元が判明して連絡があるのではとも思う。これらの思いにはまったく根拠がないのだが、現在の私の精神状態においてはリスクを丹念につぶしていくという方向に思考が働かないのだ。 警察においての調書も考えるだけでうんざりする。わかるはずのないことを訊いてくることが容易に想像できるからだ。どこで落としたか、カード入れになにか入っていたか、その番号は何番かといったわかるはずのないことをめんどくさそうに延々と尋ねてくる。友人のことで交番でたちあった経験があるから想像がつくのだ。 ぼんやり、まただらしない生活をしている自分がいけないだけだが、神様がいらっしゃるのならこのあたりで救っていただきないものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月29日 01時43分04秒
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