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SOUVENIR 思い出(す)
30年前の今日は、あと一ヶ月で日本を去るというひとつのけじめの日だった。 不安もなく、あてもなく、 向こう(こっち)はもっと涼しいと聞かされていた。 しかし夏時間で夜遅くまで明るいとは知らなかった。 今でも夏時間だから、帰宅が遅くなっても幾分安心していれる。 昨夜はセネガルのお坊さんが、ギネアに教会再建資金繰りのためにやったコンサート に出かけてきた。セネガルの伝統的弦楽器で少しハープとマンドリンの様な音を涼し い教会の講堂に響かせた。観客はセネガルだから皆真っ黒だろうと思い込んでいたら しく、白人が出てきたので幾分がっかり、何故か微妙な心境に陥ることしばしですぐ に演奏が始まった。 いくら涼しいとは言え、夕方8時といえば普段は食事が終わりテレビでフランスの ニュースを見ている時間であり、横になってくつろいでいる時間帯である。教会の神 聖な雰囲気とともに私の霊は一時体を抜け出して、ゴシックの天井の横のところの青 いステンドグラスのロザスに一体化したようである。 いつもこの教会というのは、私を眠らせてくれるのである。 昔パイプオルガンの演奏があって友人と出かけて行ったが、最初の出だしは覚えてい るが、そのあと皆の拍手の振動でこのときも魂が体に呼び戻されたという感じだっ た。 一緒に行った彼女は私が抜け殻だったことに気がついていたのだろうか?皆と一緒に 私の横で手をたたいている姿には、それらしき気配はなかったが・・・誘ってもらっ て寝ていたのではありませんよ、ちょっと体を休めていただけ・・・です。 以後オルガンだけでなく、ゴスペルのコンサートでも、クラシック音楽のフルート演 奏でも教会が苦手である。きっとあの独特の振動だろう。フランスの24時間レース で有名なルマンの近くの教会でもグレゴリアンの歌を聞いたが、学校で授業が開始し て間もなく眠くなるが如く(もちろん全科目ではないが)眠くなるのである。そして 終わると自然に目が覚めるのも不思議な話だ。 しかし私の魂は抜け出して、どこに行ってるのだろうか? 信者の方々に:私は信者ではありませんが、教会が好きです。ただそれだけです。 それも誰も居ないひっそりとした時が一番好きです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月01日 20時09分41秒
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