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人によってもちろん違うが、私は今回栗の渋皮煮に挑戦した。
まさにこの挑むといわんばかりで、皮むきは大変な仕事である。 昔はおそらく大勢で丸くなりながら、女性が渋皮を傷つけずに外の殻だけをうまくむ いたのだろう。これをひとりでやると、親指の爪が深くはいってもう痛いの痛いの~ まだ甘露煮なら全部むいてしまうからいいものの、来年はもう作らないぞ~ とはいっても、季節物は何となく、その時期に体が要求するのか、毎年新しいナイフ を買ってくる私である。 出来は最高。しかし量が思ったより少ないのでご近所には配らない。 冷凍しておいて少しづつ食べると本にあった。 日本なら、そして稲城の叔母の近くだったら、彼女が分けてくれそうなもの~ そしてヨモギ餅とか~ お団子とか~ ぜんまいの煮付けとかも さらに煮豆とかも おふくろの味である。 うちの母は昔からいろいろと台所で作っていた。 しかし量が少なくて、試しにやっているみたいだった。 父と一緒に食べようとして作ったのだろうけど、彼はいつも遅くてゆっくり食事はし なかった。それでも何でも彼女は父と食べたがり、戴いたお菓子ものりも塩こぶも全 部しまってしまう(大阪では:なおしてしまう)のである。そのうち父と食べる機会 がないとそのまま忘れられて、時々黴のはえたお菓子が出てくる。 子供ながらにそれには、非常に立腹した。 仕舞い込むことでなく、食べ物を腐らせたことに対してである。 うちは大家族の分類に入っていたので、食事や食べ物を残すことは考えられなかっ た。 炭酸煎餅も一度開ければ、それがぼろぼろであろうが、湿っていようが、全部食べた ものだった。ある日ひとりっこの従姉妹のところに泊りがけで行ったとき、湿ったせ んべいの缶を見つけて、私は泣いてしまった。その子は食べたくないからそのまま置 いていると言う。我が家では想像もつかないことだった。いやに苦しかった思いをし たのを覚えている。 現在我が息子には、それをことさら強いた記憶はないが、幼児の頃「きれいに食べ て」というのを聞いて食事したことを忘れないらしい。確かに食べ終わるまで席を立 たせなかった。 「いらないものは、最初から手をつけない」、食べ物で遊ぶ人を見たら腹が立つよ り、悲しい。よくレストランでフランスパンをちぎってこねって遊んで捨てる人がい る。バゲットの中身は消化に悪いと言って、捨てる人が結構いる。 いちいち腹を立てても仕方ないが、どこの国でも無駄はある。 休みの日に無駄なことをするのとどう違うのか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.02 21:12:37
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