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オ ニ オ ン の つ ぶ や き

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ベル玉@ Re[1]:アジアの中の一国。。(08/18) 山口 神奈川さんへ パラオリンピックは差…

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楽書の章


追記


シンデレラの母は継母ではない。他3点。


ふざけんじゃないよ


そんなあほな


かまわんとって


いけず、やわ~


あせったら、あきらめたらあきまへんでぇ


力を出し尽くして。。


あほとちゃうか。。


僕らは皆生きているの章


オニオン大好き/(ノンハード)


隣人を愛せよ


確かなことはない


歌うということ


ある日本人女性のことば


叫ぶということ


怒ることも必要


我思う、∴我あり。


そうだ、皆一生懸命生きている


そうだ、オニオンだって生きている


まっすぐな光


見えなかったものが見えてくる。。


昔むかし。。


何も無いから全てある


あまのじゃく


失くしてわかる。。


隠れたトラウマ(1)


トラウマ (2)


生きる意味


(自作)テーマソングの歌詞のみ


last but it's not the last..


生きているで章


「今を生きる」


どんな姿でもいい


流れるままに


誤解されてもいい


変わる瞬間


振り返らない


扉が開く


窮屈になる


延々と続く縁


信じられない話


新月の願い事


心が消える


どんな人生でも最高


一番大事なモノ


扉が閉まる


扉のこと


ひとり


失ってから


変えるチャンス


幻かも


失うモノは何も無い


まとめてみる


これが最後


終わりに章


つきあいを変える


変わるモノと変わらないモノ


宗教ってのは(ホンネを少し)ね


要るモノ


パラレルワールド


ある友達のこと


殻破り


自分っていうのは何か


嵐の時


崖っぷちにて


そんなはずじゃない


意識レベル


果たした時点から始まる


すべてある


レコード


答えのない問い


あるモノを変える


世界に誇れるもの


万事うまく行く


思いあがるな


薄情とか、無情の情


欲とはですねぇ


何かが。。


ふつふつと沸き立つモノ


キリをつけるで章


「今から」でも遅くない。


やるべきこと


失ってもまた得ることができる


やってみなけりゃわかるまい


動き出す時


仕組まれた世界


復活祭


とにかく吐き出す


人は人を裁かない


気にしなくていい


変わらない、変えられない


本当に簡単


幸せは今


・・でも。。


そろそろ終わり。。


明日は明日の風が吹く


思いを持つ時点


そのままでいい。。


人生劇場。。


感じなくなる。。


何かを見落としている。。


元に戻ろうとしている。。


岡潔さん。。


2007年08月29日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日オランダ語を再開した理由なんかを説明しようと、過去のことに触れましたが、
これってとってもプライベートなことなのですね。

書いていて気が付きました。。。それで少し端折って続けます。

オランダ語を習うが一心で毎朝子供を預けて、学校に通いました。毎朝レッスンでは
なかったのですが、復習で毎日一杯でした。そしてオニオンは、ある決意をしてこの
レッスンに望んだのです。それは、子供は小さいし、これからいろいろな伝染病や病
気を託児所からもらってくるだろう。それ自体はどうってことないが、水疱瘡以外は
二日ほどでよくなるし、高熱さえでなけりゃ託児所で預かってくれるだろう。という
希望的観測、つまりマイナス思考は一切排除していました。万が一、高熱がばれてむ
こうで拒否されたら、おぶってでも学校へ行く。特に試験の時はそういう心がけで臨
むのだ、でした。最初から相当の気合が入っていたのでしょう。初級の一年間全然高
熱で負ぶって出かけることはありませんでした。風邪にもかかりませんでした。母子
ともに健康そのものでした。言ってみれば、水疱瘡にかかりましたが、体のカサが自
然に落ちるまで預かってくれないということで、オニオンはタオルでハタハタたたい
てそのカサを落として託児所へ連れて行きました。

その間幸せでした。自分のやりたいことが出来る幸せです。子供を犠牲にするのでな
く、協力してもらうのです。
実はそのあたりからパートタイムの仕事を始めました。それは午後からで、朝勉強し
てからです。最初の一年間はうまく事が運んだのです。ところが、二年目、中級に上
がった時ですが、参加者が定員をわっているのでせっかく始めたクラスが途中で廃止
されるという危機が到来しました。これからが、会話やヒアリングを本格的に勉強出
来るのにぃ。。という微妙なタイミングでした。学校としては午後や夜のクラスへ編
入する便宜をはかってくれるようだったのですが、仕事と小さい子供がいるので没に
なりました。
それからというもの、この大ショックから立ち直れませんでした。やる気満々が行き
場の無い蒸気のようにもれて爆発しそうでした。

そうして、10年近く、どうにか子供の手が離れるまで、その圧力は少しずつ緩んでき
ました。
その間に、仕事を休止して日本へ2ヶ月ほど戻りましたが、イラク戦争が始まってし
まい、訳が分からないまま(ベルギーに)帰国です。同じ仕事をする気になれず、失
業者待遇を受けながら、英語のクラスへは通ったのですが、ショックをうけたオラン
ダ語へは戻りませんでした。やっとまともな仕事が見つかったころには、フランス語
と英語と日本語の仕事ですが、オランダ語は横目で見るという具合でした。でも少し
は出来るというので得はしました。

長くなったのでまた明日です。





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最終更新日  2007年08月29日 18時48分32秒
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