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カテゴリ:言葉の魔法
オニオンが読みにくい文章というのは、くどくどしていたり、やたらと熟語を使ったり、不適当なカタカナ語を見つける場合、さらに、字が小さすぎたり、ワープロ機能でか、背景が黒で字が白というのも疲れてしまう。 見ていて疲れるものは、読む気がしない。特に近視であるからだろう。 音楽でもおなじこと。その方の道に詳しい人だけが理解できるような知的なものは好まない。ちなみにゴスペルを歌う時は楽譜がないのである。ポリフォニーも聞いた音を再現するだけである。音楽をまともに習った人は楽譜がないと音が出せないのである。 コードを知らないと、そのものが出来ない。絵が描けない、習っていないから。。とはいうが、気のむくままに絵の具を持って何かを描くことは、筆の持ち方を知らなくても出来るはずである。自由に描けばいいのだ。音楽だって、好きなように音を出せばいいのだ。 なのに、世の中では「コード」にはみ出たものは、「恥」らしい。。 歌を歌えない人がいるようだが、それは人前で歌う勇気がないからだろう。そうか、声が身体的に出せない人である。誰だって歌えるはずである。 悲しいかな、特定の社会では他人の評価を気にして生きなければならないのである。 好きなように、気のむくままに表現したいものである。 技術的に劣る(つまりコードを尊重していない場合)と社会悪なのであろう。それを「恥」というのである。ベルリンの壁は「恥の壁」であった。(日本には恥の壁だらけ。。) そんなところは飛び出せばいいではないか。。本当の心の自由を求めて お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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