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カテゴリ:言葉の魔法
国が違えば言葉が違います。ここでは**語という言葉でなく、言語としてコミュニケーションや意思表示に人間が使っているものをいいます。
日本の中でも公式な日本語はありますが、国内では多くの方言や独特の言い回しがあります。 そのすべてが、細かいモノの違いをうまく表現しているのです。もし他の言葉に訳してしまったら、それで別のモノになります。翻訳する者にとっては、いかに訳すかというのが大きな課題なのです。 もちろんケースバイケースで、ただ右のモノを左にそのままの意味で訳するだけのものから、右の意味や感情を左に移したり、左に簡潔訳をすることもあります。 (昔、オニオンのスイス人の知人が言いましたが、その言語のエスプリを一度ゲットしてしまうことだと。そうすれば訳していてもただの訳ではなくて生きた訳になると。。自分が訳す両サイドの言語を習得するだけでなく、そのエスプリを自分のモノにする。つまり、潜在意識界に入り訳をするということなのですね。。) でも苦労は、どんな一語にもその響きや意味を、感情を無視はできないという事です。自動翻訳機械の訳にはそれがありません。心がありません。そのほうが早く、安いので、そして便利だから皆使います。ずっとそれに頼っていると、当然のこととして心が無くなってしまうのです。おかしな日本語でもそれをおかしいとも思わなくなります。しかし、そうなるとロボットと同じになります。最近は感情の表現出来るモノがあるでしょうが、人間はロボットより無感情になるのです。 食べ物でもただ便利で安くて早いほうを選んでいると、人間が早く安く便利になるだけです。高いモノだけを食べろというわけではありません。つけられた値段が果たして本当に安いのか、高いのか自分で判断できる人間になりましょう。 たまには、自分が本当に欲しているモノに目を向けてはどうでしょうか。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年04月20日 23時26分41秒
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