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カテゴリ:自由
日本人は集団生活を好みます。
そのほうが危険な時楽だから。。 個人が存在しない、個人の顔が見えないのが日本と言えば、変に聞こえるかもしれません。オニオンは外地に40年以上生活していますので、日本がそう見えるのです。 国土も狭いし、人口も多いし、農業から始まった国ではエゴは認められなかったのでしょう。変わったことすると村八分になりました。 学校では子供に個性的になり主張できるようになるという教育指針のようなものを出していました。しかしながら、いざ個性的で主張しようものなら上からでなく、周りから叩きつけられてしまうのでした。現代もあんまり変わらないでしょう。誰かが個性的な事すれば、すぐに皆がやるので個性的でも何でもなくなるのですが。。 皆が皆同じような家庭に育ち、大きくなって同じような学校へ通い、同じように考えて試験を受けて、同じような仕事をして同じような家庭を持っていくのです。同じような子供を作り、同じように育て。。。 皆が皆では無いかもしれません。特に超優れた人というか、横のコネがあるとどんどん上の方へ行き、群れから出ます。そうなるとエリートという別の群れをつくるわけです。また落ちこぼれというのもあって、それはそれでその群れを形成していきます。 いずれにせよ、常に集団行動ってやつです。 このご時世は平和ではあるけど、マスコミが不安を煽るような報道をし続けるので人心はネガへと向き、心の拠り所を見つけるために新興宗教などに入ります。国の宗教がなく、宗教の自由がある日本では全く何を信仰しようと自由ということになっています。そのほうの監視も無いようですしね。。 一人でいると不安になり、誰かを頼ってしまい、仲間になることで安心するというものです。その料金を払ってさらに安心。信仰そのものよりも、各々が迷っているからなのでしょうね。 大きな立派な建物のバチカン教会では毎日世界各国から多くの人が集まります。それだけでもお金が集まりますが、さらに、世界中の教徒からあつまる基金もあるわけです。税金を払っているかどうかは、国によって違うでしょうけど、日本では払いませんね。建物にお金をかけるよりも、もっと有意義な使い方があるのではないかとも思いますが、それは素人の考えでしょうね。。ちょうど強国が軍備に大金使ってるけど、その国民は飢えているとか。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月04日 03時23分53秒
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