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カテゴリ:思い出
英語ではクローズでなく、クローズドつまりclosedなのですね。よく混合してるようですけど、カタカナ語のクローズは近いです。今回は閉店、店じまいということ。。
1974年か1975年から当時ブリュッセルの唯一の日本食レストラン、それも高級レストランとしてグランプラスの近くのギャラリーの中にひっそりと存在していました。味も日本の味で、鴨肉が美味しかったですね。。 特にオニオンにとっての思い出は、亡き父と会食できた数少ないところです。こじんまりしていたのですね、当初は。。眼鏡のレジおじさんには、まさか聞こえていないと思い込んでか、父が勝手な事や極ヤバイこともベラベラしてました。他所でも平気でずけずけしゃべる人でしたがね。。オニオンには同じ血が流れています。 後彼を偲んで一人で行ったとき、そのおじさんが全部内容を覚えていたということを聞かされて唖然となったものでした。さらにたまたま別の縁もあって、レジで立ってる(年齢は同じくらいかもの)眼鏡おじさんとは会話してます。 とにかく場所がちんまいのですぐに満席になっていました。階上にグループ用のテーブル席もありましたが。。 それがいつの間にか拡大していたかと思うと、50年目でクローズドしますというメールが入ってきました。 場所が広くなってからは、スイスからお客さんがあった時に食べに行きました。懐石弁当でしたが、30年ぶりの再会なのでおしゃべりばかりしてましたわ。。息子を誘って食べに行ったこともありましたが、その時以前の懐かしい雰囲気が消えてしまっているのが残念でした。 ビルの鋼鉄のせいでなのか、WIFIが遮断されているので食事中にスマホが使えませんでしたが、それよりも、同じテーブルにいて同じものを注文できないことが心残りでした。 デラックス弁当ランチとでもいうか、ランチなのですが、数に限りがあるそうで予約しなきゃならないのかと聞くと、別にそういうことでもないというのですね。はっきりしない、忙しいから聞くなってとこか。。オニオンと息子が同じランチを頼むとダメと言われてしまいました。ランチは一つのテーブルに一つだけという規則なんだって言われて、切れそうになったオニオンでしたが。。違うモノを注文して分け合いながら食べろと言わんばかりの非日本人給仕に対して。。この人たちは、ここが有名だからここで働くとプレミアがつくし、給与もいいということでしょう。。日本人を雇うと安い給与では働かないし、使えないとかとか。。こちらでも日本人には変なプライドがあるのか、卑屈なだけなのかと。。パリの日本人たちに似てきたようだわ。。駐在員家族たちの静かなブリュッセルは過去の過去。。 あぁ、最近はこの種の「古い」伝統的なレストランが次々に消えてます。日本食だけでなく、中華も同じことです。店を始めた年代層が引退して、後を売ってしまうためでしょうかね。。飲食業界は厳しいですからね、楽が出来ない職種ではありますが。。 ちなみに別のところで「侍」はアトリエが設けられるようですが、これでひとつまた星が消えて行きました 値段は高かったけど、それはそれで入客はあったのに、もう伝統的レストランってのは流行らないのかもね。。飲み物が高いし、コース料理で100ユーロくらいですからね。。17000円 物価高ですわ。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年07月13日 00時00分14秒
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