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懐かしさと言うものは、どうして涙を誘うのだろう。例えばそれが楽しい思い出であっても、微笑むのと同時になぜか涙腺が緩んでしまう。
日曜日と言うと、広い工場で一人仕事をしながら、私は大きな声で歌を歌う。知っている曲、心に浮かんだ曲を手当たり次第歌うのだが、さだまさしの曲を歌うことも少なくない。 さだまさしのファンと言っても、かなりメジャーな曲しか知らない程度だが、ふと、「飛び梅」を口ずさんだ。 ♪しんじ池に掛かる 三つの長い橋は 一つ目が 過去で 二つ目が 現在(いま)~~♪ 高校3年生の頃は、さだまさしだの、吉田拓郎だの、長淵剛だのを聞きあさっていた。私が九州(福岡県)の大学を志したのは、長淵剛の曲に出てくる「大濠公園」などがあったからかもしれない。 ♪ミドリの地図を 指で辿って 君のうちまで バスに揺られた♪ と言う歌詞。福岡大学や西南学院大学を受験するに当たり、購入した福岡市の交通マップに、緑色のバス路線があったのを見て、「長淵さんはこの地図を見たんだろうか・・・」と真剣に考えたものだった。 そんな福岡フェチの私の受験に、滅多に遠出をしない、と言うか、姑によって外出を阻止され続けた母が、同行してくれた。試験が終わってだったか、先立ってだったか、とにかく、二人で訪ねたのが、学問の神様、菅原の道真を祭った太宰府天満宮だった。 母と共に、しんじ池に掛かる橋を渡り、本殿にお参りし、帰りには梅が枝餅を食べた。 いま、高校3年になった娘の入試状況は、広島市内の専門学校への合格で一応、一息ついたというところ。入試旅行に同行することはもうないだろう。いつも仕事、仕事で、余り構ってないから、こういう時くらい、一緒に旅行に一つでもと思わなくもないが、実は経済的にそんな余裕はないし、時間的にもまず無理。不憫に思いつつ、私の思い出を辿り、飛び梅を歌いながら、少しセンティメンタルに浸った。 この人と結婚するだろうと思っていた大学時代の恋人とも、一度、大宰府を訪れたことがあった。当時、学友の間では、大宰府でデートをすると、その恋は成就しないと言う噂があった。私たちは、「そんな事、絶対にない!」と断言したけれど、例に漏れなかったわけだ。 きっと、恋人同士で訪れても、分かれることのない二人はいる筈で、私たちが分かれたのは、大宰府へ行ったからではなく、縁がなかっただけなのだ。 でもそのお陰で、ちょっと乱暴者で天邪鬼ですごく照れ屋な夫と出会い、生まれ育った家のすぐ近くに嫁ぐことができ、多少貧乏はしているけれど、雨風を凌ぐことの出来る家があり、暖かいお風呂に毎日入れ、「今日は何をしよう。」と途方にくれるほどの暇をもてあますこともなく、頂いた命を有意義に過ごすことができている。 それにしても不思議なのは、懐かしさが、何故、涙を運んでくるのか、と言うこと・・・・・。誰か、その理由をご存知ありませんか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
>それにしても不思議なのは、懐かしさが、何故、涙を運んでくるのか、と言うこと・・
私も、多感な青春時代、流れていた歌の歌詞が自分たちの恋愛と重なり今でもうるうるします。 実らない恋だったから余計で、彼女は20代でいつまでも若々しいせいもあるでしょう。 涙が出る懐かしい思い出があるだけ幸せです。 (2007年11月29日 22時55分59秒)
そうですよね、東京-ジャックさん
>涙が出る懐かしい思い出があるだけ幸せです。 ----- そうですよね。戦争とか何とかあれば、本当にそんな気持ちどころじゃない。幸せな時代に青春をすごせたことに感謝です。 (2007年12月02日 17時10分00秒) |