大学での仕事
こないだの金曜、武蔵野美術大学の油科の卒業制作の講評に呼んでもらった。朝9時から夜9時までという凄まじいスケジュールだったんだけど、午前中は卒業制作をすべて見て、点数をつけたり賞候補を決めたりして、午後は担当させてもらった袴田京太郎さんクラスの講評に参加した(with篠田太郎さん)。午前中見た中で一番印象的だったのは、田中さんという学生(袴田クラスではないけど)だったと思うけど、「グルーミング・アート」と題されたリサーチプロジェクト(と言っていいのかな)。なんというか、「絵が描けなくなった」という本人の切実なリアリティを出発点に、「アーティストになる!」でもなく「就職する!」でもなく、ただ何となく絵を描くという美大の若者に蔓延する風潮について、いろいろな人へのインタビューや論文で探っていくって感じ。「グルーミング」ってのは「毛づくろい」を意味するらしい。卒制は、四年間美大で学んだ集大成のわけだけど、やはり、「もう今後絵を描いていく/作品を作っていくつもりはないけど、卒制としてこなさなきゃいけないので、やりました」的な作品がちらほらある。そんな中で、そういう「逃げ」の姿勢ではなく、その現実を正面から見つめたプロジェクトなわけで、すごく好感が持てたというか、感動した。やっぱり作品ってのは、その人の現実に正面からぶつかることからしか生まれないんだなーと思った。で、講評は、やっぱ難しいなあと思う。学生がどういう進路を望んでいるかによって、何を言うべきかが変わってくるように思うから。たとえば「現代美術」的な方向に行きたいのか、「画壇」的な方向に行きたいのか、あるいは単に趣味でやっていきたいのか。それこそグルーミングでやっていきたいのか。作品を見ればだいたいわかることではあるんだけど、ときどき中途半端でわからないときは、たぶん態度を間違えて喋っていたかもしれない。その意味で、無用にキツいことを言ったところもあるかもしれないなと思う。さらに、朝6時に出なければいけなかったのでほとんど眠ってない状態で、ろれつが回らないわ、手が震えるわ、学生の言葉を聞き逃すわで、学生に申し訳ない。体調管理の問題だなー。でも、面白い作品はいっぱいあったよ。あと、実はいま僕自身も「審査される」側になってる状況があって、もうすぐ面接みたいのがあるんだけど、今回自分が「審査する」側(点数つけたり賞候補を決めたり!)になって、「なるほどー、審査の場ではこういうロジック、こういう力学が働くのかー」と少しわかった気がする。それを自分の面接にいかせるかどうかはまた別なんだけど。でもやっぱり、良いものは伝わる、ってのは確かだし、中途半端にやってるのはわかる、ってのも確か。あたりまえか。あと、水曜は、一年間担当した玉川大学での映像クラスの最後の講評だった。これも、うーん、学生が「映像作家になりたい」わけでも「ビデオアーティストになりたい」わけでもなかったりするから(たぶん)、どこまで厳しくやるかっていう加減が最後までつかみきれなかったかも。でも来年は、今年の経験をいかしてもう少しちゃんとできそうだ。学生を甘く見ることなく、正面からぶつからなきゃ。とにもかくにも、学生が作品を発展させていくのに立ち会うのは、なんともいえない喜びです。今回のむさびでも、昨年秋にレクチャーに行ったときやその前に田中功起ゼミの講評で見た学生たちの作品が「お~、こうなったんだ!」という感動があった。そうなるとやっぱり、いきなり見た人よりも甘い点になっちゃったりもするんだけどね。あ、むさびでは、来年「奥村雄樹ゼミ」を一ヶ月やらせてもらいます。やりたいことはもう決まってるので、今から楽しみだぜ。。。