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テーマ:日本のロック・ポップス(192)
カテゴリ:音楽
先週土曜日に鏡石町というところで風とロックCARAVAN福島というイベントの公開生放送を見に行きました。
音楽の楽しみ方というものは非常に難しい。 私は仕事柄、例えば町のカラオケボランティアサークルの歌も聞くこともあれば、一流どころの「プロ」と呼ばれる人の演奏を聞くことも少なくない。 どっちがすごいかといえばどっちもすごいのである。人前で何かを見せるというのはそれそのものだけですごいのである。 ただ、私はどちらかというと、中途半端にプロを名乗って演奏している人達より、他に仕事を持って働きながら楽器を練習して発表している人たちの方が好きだ。本当に好きでなければそこまでできないからだ。 風とロックCARAVAN福島を見に行くと、女子高生だったりプロと呼ばれる人だったりが混在していて、そういう人たちの演奏が聞ける。それはまた興味深いものだ。 音楽の裾野が広がり、いろんな人が楽器を持ち発表する機会が増えている。それは非常によろしいことだと思う一方、昔、本格的に楽器を練習していた私にとっては若干物足りないと感じるとこがある。 今回もイベントのレギュラーであるバンドが出演していたのだが、おそらく思うに、絶対的に練習量が少ないのだ。まずもって楽器を指先でしか弾いていない。 何でそんなことを感じたかといえば、最も基本的なチューニングをチューナーだけを頼りにして合わせていて、耳で体感で狂いを修正することができていない。 これは練習量、楽器を鳴らす時間、楽器の音を体感することができていないからだ。 そしてそれはこのバンドだけではなく、日本の多くのバンドでも見られる現象だ。一体彼らはどれくらいの練習量で舞台に上がっているのだろう。 私が中学高校のときはほぼ毎日4時間くらいは楽器を持って練習していた。それくらいやっても全然足りないと感じていた。 また、実はかつて某超大御所バンドの人とお知り合いになり、話を聞いたところ、バンドのメンバーがスタジオで練習をするときはまず約一時間、スケールの練習だけをメトロノームに合わせて行っていた、と聞いた。 スケールの練習とは要は「ドレミファソラシド」を延々と繰り返して鳴らし続けることだ。 あえて名前は出さないが、日本のバンドの草分け的存在のバンドである。 逆に言えば基礎をガッチリと固め尽くしたからこそ彼らは大御所になり得たのだと思う。 自分にとってのヒーローが、例えばジョンボーナムであったりビリーシーンであったりイングヴェイであったり、ジェイムスヘッドフィールドであったりキースエマーソンであったりして、彼らと日本のミュージシャンを比べるのは酷かもしれないが、重ねた練習量は嘘をつかない。それがプロとして音楽やることなんだろうな、ということを鏡石町で感じたのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.29 01:11:25
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