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カテゴリ:震災関連
早いものであれから7年。
私が福島に住み始めて二回目の311は、職場の厨房で肉じゃがを作りながら迎えました。 震災が起きて、自分に何ができるのかいろんなことを思い、なかなか直接的な協力はできませんでした。 ただ、それでも女川さいがいFMに出させてもらったり、私と友人たちが橋渡しになってアイルランドのダブリンと被災地の高校生をつないだ活動が福島民報さんに載ったり、私が書いた震災本のレビューを追っかけてきたNHKのディレクターさんと知り合ってしまいには全国放送に出演することになったり。 いろんなことが震災という出来事の中で流れていきました。 今、私は福島の会津地方に住んでいます。放射線や建物倒壊など物理的な被害は少ないほうだと思っています。 それでも会津地方民と会津地方に住む浜通りからの避難民との軋轢はあちこちから聞こえてきます。 また、ローカルニュースは毎日、その少なくない時間を震災復興と原発事故収束に当てています。 こちらに住んでわかったこと。 他県では311は年に一度、自然災害を考えたり原発事故を考えたり、亡くなられた人を追悼する日なのだと思います。 でもここでは毎日が震災から繋がっているのです。震災の記事が載らない日はありません。民報さんも民友さんも、NHKはまなかあいづもFCTゴジテレchuも、ずっとずっと、今日、東京キー局が放送した内容のようなことを毎日報道しています。 日常が「復興」なのです。 他県の人たちは「年に一度だから」と気合を入れて行事を企画したりしているようです。 でも、毎日復興の報道の中で生活していると、まだ二年しか住んでいないものの、この私でさえ相当に震災に対し疲弊してきます。7年目の方ならなおさら、疲れているのではないでしょうか。 震災を舞台にした青春ドラマ「ラジオ」の中で、被災した女川の主人公の女の子がブログで話します。 ブログ 「本当に欲しいモノは。」 月命日という言葉を私は覚えました。 月命日、311。11日だからなんだあという気がし ますのは、震災に無関心だからでも、強がりだか らでもなく、ただ単に私たちには、被災後から続く、 過酷な日常の一日に過ぎないだけなのです。 更地のわが家も、どす黒い闇におおわれる海も、 積み上げられたガレキも、戻って来ない友人も。 被災地の外で、11日しか思い出されないあの 震災は、あたしたちの日常なのです。過去形で はない、現在進行形なのです。あたしにしたら、 11日は、震災を思い出す日でも、黙祷する日 でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる 日になってるように思います。 --- 福島に来るまではこのブログの意味が今ひとつ理解できませんでした。 そして今、彼女の言葉が痛いほどわかるようになりました。 だから、本来であれば今日はテレビもラジオも消して、静かに過ごしてほしい。もしくは、いつもと同じように暮らしてほしい。 毎日の震災報道の中でそう感じるようになりました。 「震災を風化させてはいけない」「語り継がなければならない」 そんな言葉がここ数日、毎年のこの時期と同じように聞こえてきました。 でも、私は、忘れられるのなら忘れてもいいと思います。風化させてもいいとも思うようになりました。 それくらい、あの日の出来事は地獄でした。 たから、もういいんじゃないか、と思います。 個人レベルで、忘れてしまうこと、風化させてしまうことを悪だとしてしまうにはあまりにも苦しすぎる。 恐らく明後日の報道からはほとんどの県で、東日本大震災を扱う量が激減すると思います。 特に明日は森友学園問題で一日中大騒ぎになると思います。 それでも福島は苦しみながら一歩ずつ傷を治していかなければなりません。 被災地や被災者に寄り添いなんてしなくていいから、時々だけでも、大きな災害でたくさんの人が亡くなられたことを、思い出してあげてください。 私もそうしていきたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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