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2024.05.05
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カテゴリ:津軽八十八霊場
昨年の写真データが出てきたので、札所の紹介に使えるのでは?と筆をとりました。写真のプロパティを開くと撮影日は去年の3月でした。残雪がちらほら見えますが、冬のお寺は風情があって良いもんだと改めて実感ウィンクそれでは見ていきましょう。

津軽八十八霊場四十八番札所:那智山袋宮寺

弘前駅からは徒歩で25分、最勝院からは徒歩で5分くらいの距離にあります。市街地にひっそりと鎮座するお寺です。御堂内にお守りや御朱印(書置き)が用意されてますので、いつ行っても大丈夫だと思います。

門を抜けると御堂が見えます。ビューティフォー・・・ほえー



参道脇には西国三十三観音の写しがありますね。
以下説明書きです。

西国三十三観音御奉安のお知らせ
古来津軽三十三霊場第一番札所でありました那智山袋宮寺(旧樋ノ口村在)並に八番無量院観音堂(現袋宮寺)をこの聖地に復興し、三十三観音を奉安することを発願いたしました。
篤信皆様の御奉納をお願い申し上げ、家内安全、身体健全、各願成就をここに御祈願いたします。
天台宗那智山袋宮寺



では御堂内に入りましょう。
戸を開けると人よりも数倍大きい仏像が居ります。初めて見た時はどってんしましたね。装飾も精巧、かなりお気に入りの札所です。
去年は何度も参拝しました。いやー、素晴らしすぎるよ・・・涙ぽろり



では御由緒です。
​袋宮寺について​​

歴 史

 袋宮寺は、熊野神社(現在の城西大橋そば)の別当寺として4代藩主信政公によって置かれたとされますが、明治時代の神仏分離政策によって熊野神社と分離されました。現在の堂舎はもと報恩寺の無量院観音堂であり、同じく明治時代に報恩寺内の子院が廃止された際に袋宮寺の名称を引き継いで独立することとなりました。

 報恩寺の無量院観音堂の創建は、「天台宗諸寺院縁起志」に延宝5年(1677年)8月建立とあり、「国日記」には翌6年5月に入仏供養があったと記されていることから、延宝5年に観音像が完成し、翌年に本堂の荘厳を終えて供養が行われたものと考えられます。

 報恩寺は、将軍菩提所である上野寛永寺と親交のあった4代藩主信政公により津軽家の菩提寺として創建された寺院でしたので、現在のように常時拝観できる状態ではなかったようで、享保20年(1735年)に観音堂修復のためのご開帳が行われたという記録があります。

 現在の袋宮寺には、熊野神社の別当寺であった頃の文化財は伝わっておりませんが、津軽家菩提寺の一部として建立された堂舎と、本尊の十一面観音菩薩の勇壮な姿が現在に伝わります。

十一面観音菩薩立像

 袋宮寺の本尊である十一面観音菩薩立像は、別名「背高観音」と言われ、高さが約6メートルに及びます。本像は青森県内に残る江戸時代までの仏像の中で最も大きく、東北地方でも屈指の巨像です。
​天台宗那智山袋宮寺 / 袋宮寺について より抜粋

藩主の弔いのために造られた仏像が現代まで残り、それを拝観できる・・・。いやー、素晴らしいものを見ました。また参拝したいです。
上方の仏像にも引けを取らない十一面観音菩薩立像。弘前にお立ち寄りの際は是非ご覧なってってくださいスマイル



以前貰った御朱印です。



以上です。








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最終更新日  2024.05.16 20:56:00
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