007603 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

おんかみのブログ

おんかみのブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

おんかみ

おんかみ

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2024.05.26
XML
突然ですが一息つきたくなったので、昭和大仏を見に行くことにしました。第二みちのく・みちのく有料を併用すれば2時間せずに青森に行けるんですね!
僕にとって昭和大仏は日常から切り離されたリラックス空間なんです。青森市に異動できるなら迷わず年間パスポートを買うつもりです。寺の縁側で熱い茶をすするのが最高の癒しになるのです。

全仏山青龍寺

青森の環状線は青森市を囲うように走っていますが、その南東に全仏山青龍寺はあります。
駐車場に着くとまず目に入ってくるのがバス停の待合所です。雰囲気ありますよね!青龍寺の境内にいると感じさせてくれます。



案内地図



駐車場の真ん前には高野山青森別院があります。朱塗りの伽藍で津軽弘法大師霊場の十六番札所になっています。弘法大師霊場の札所記事については、以下のリンクからどうぞ!

十六番札所:高野山青森別院 朱塗りが美しい大師堂



入り口は二階にあります。参道から右に逸れると小さな橋があり、そこから向かえます。



山門です。何年間前に竣工しました。豪華なことに、仁王像ではなく四天王像が納められています。この四天王の御朱印もいただけるんです。



正面側は左:持国天、右:多聞天です。



裏側は左:広目天、右:増長天です。



参道です。ここも何年か前に整備されてから、相当きれいになりました。右には高野山青森別院、左には枯山水が広がっています。



これが高野山青森別院に至る橋です。



説明書きです。



高野山青森別院(大師堂)

青龍寺伽藍の中で唯一朱に塗られた御堂です。本尊に真言宗の開祖、弘法大師空海をお祀りしているため、大師堂とも呼ばれております。昭和23年(1948年)に織田隆弘師が創建。
元々は青森市茶屋町にありましたが、境内地が狭隘であったため、昭和53年(1978年)に将来の移転先としてこの桑原の地を譲り受けました。
その後、青龍寺の境内地として昭和大仏、金堂、五重塔など伽藍整備をし、平成10年に旧茶屋町より本堂を移転修復しました。
青龍寺伽藍が生まれる種となったお寺です。
弘法大師御宝号「南無大師遍照金剛」を唱えてお参り下さい。

こちらは開山堂。先の高野山青森別院(大師堂)を創建した隆弘大和尚を祀っています。


​​開山堂​

二十尺四面、宝形造の小ぶりですっきりとした佇まいのお堂に青龍寺開山織田隆弘大和尚の木像をお祀りしております。​
開山主織田隆弘大和尚(大正3年弘前市生まれ)は、昭和16年東京四ツ谷の金鶏山眞成院住職を拝命するも東京空襲で堂宇を焼失してしまいます。
そこで昭和23年、青森市茶屋町に高野山青森別院を建立し境内地に保育園、診療所、ユースホステルを併設して福祉事業、青少年育成に力を注ぎました。
やがて昭和46年には四ツ谷の眞成院を復興、昭和57年に全仏山青龍寺を創建、続いて昭和大仏、書院、金堂を建立し、今日の青龍寺伽藍の基礎を築かれました。
お加持によって癌をはじめ難病に苦しむ多くの人々を救い、著書は数十冊に及び、ひたすら仏法興隆に尽くされました。
高野山真言宗の最高位、伝燈大阿闍梨大僧正に任ぜられ、平成5年金堂落慶を見届けて遷化されました(世寿80歳)。

この開山堂をお参りしてふり返ると、その視界には右手に金堂、五重塔が、左側に書院が甍を連ねており、青龍寺伽藍が見渡せます。開山主は今も尚、伽藍を見つめ、参詣者を見守って居られるのです。​
これまで奥州南部糠部三十三観音で見てきた観音堂の造りは宝形造と言うんですね!今度から使いこなしていきたい言葉です。

金堂です。結構横に広い造りになっています。中には諸仏と不動明王・愛染明王・見返り阿弥陀像が安置されています。その前で焼香できるんですが、何だか気が引き締まるような感じがします。本州最北端の青森県にこんなにも素晴らしい仏像がそろっているのは驚きですよねほえー他にも様々な絵画類なども飾られています。



斜めから。開山堂の右手あたりから撮りました。素晴らしい景色ですよねスマイル気分は小京都!



金堂
​​

金堂は伽藍の中心となるお堂で、青龍寺で行われる多くの儀式がここで執り行われます。本尊は昭和大仏と同じ大日如来(胎蔵界)。
「おんあびらうんけん」とご真言を唱えてお参り下さい。

裏廊下には高野山に伝わる国宝を模写した「阿弥陀聖衆来迎図」、須弥壇西端には昭和大仏原型製作者、江里宗平仏師の手による「みかえり阿弥陀像」をお祀りしております。

安置仏
薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来、不動明王、愛染明王、虚空蔵菩薩、毘沙門天、真言八祖絵図、両界曼荼羅掛け軸​
​​昭和大仏青龍寺 / 金堂​ より抜粋

全仏山の額です。



ここが金堂最高のポイントです。なんと五重塔を見ながら熱い茶を飲めるんですスマイルゆっくりしていると、誰かが付いた鐘の音がゴーンと聞こえてきます。本当に何時間でも居れますよ。



五重塔です。青森県には弘前の最勝院にも五重塔が有り、非常にたくさんの名所がありますよね!
この五重塔は柱を上から吊っているため、地震による揺れにも強いとのことです。五重塔の御開帳日には住職自ら説明してくれるので、非常に面白いです。
近くに寄ってみると、銅鐸のカランカランという響きが聞こえてきて浄化されます(昇天)。


五重塔

青龍寺五重塔は、39,35mと木造五重塔としては京都の東寺、奈良の興福寺、香川の善通寺に次いで日本第4位の高さを誇ります。京都以北では最大の木造五重塔です。吊り心柱構造が採用されており、初重内部に設えてある須弥壇の中央に聳え立っているかのような太い心柱は、天井に空いている穴を突き抜けて五重目の土居から吊されています。地震の時に心柱が揺れることによって、地震の揺れを吸収する免震構造です。木造五重塔は台風などの大風による倒壊、火災による焼失は歴史上何度も起こりましたが、地震による倒壊は未だかつてありません。

初重内部須弥壇には、胎蔵界曼荼羅に描かれる普賢菩薩・観世音菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩の四菩薩、壁面には真言八祖彫像が奉安されています。​
​​昭和大仏青龍寺 / 五重塔​ より抜粋

説明書きです。



五重塔建立趣意

仏塔の歴史は、お釈迦さまの入滅の時に舎利を納め供養するために建てられたのが始まりです。
日本の仏教建築の中で世界に誇る五重塔は伽藍の中核をなし仏法興隆に功績大なるものがあります。
思うに世相は繁栄の蔭に唯物自我の思想に立ち、無益な競争社会と犯罪社会を生み、権利のみを主張し、義務を怠り、小欲知足を知らぬ国民は感謝を忘れ、先人の意徳の広大さ、とりわけ護国英霊の大恩を忘れてしまっております。
聖徳太子は十七条憲法の中で仏教をして国と民との模範として精神文化の大道を開かれました。仏教は人格教育であります。仏法なくして国の再生はなりません。
「国民に仏心なくば人心乱れ、国に仏法なくば国荒廃す」の信念は正法興隆の大悲願となり、昭和大仏、金堂、そして五重塔建立の発願に至りました。
境内の森を背景に屹立する五重塔は、仏教の精神美を表現し青い森、青い海、青い空の自然と調和して、人々の仏性に一層の輝きを与え正法の道しるべとして子孫の宗教心の涵養に役立つことを期待するものです。

平成8年(1996年)10月10日 山主

去年のいつだったか忘れてしまったのですが、五重塔のご縁日に内部を拝観することができました。確か月一で開帳していたと思うのですが・・・。その時に見た仏像です。これは普賢菩薩。



こっちは弥勒菩薩です。



書院です。何度も昭和大仏に行っていますが、ここには一度も入ったことはないです。分かることは素晴らしい建築物だということ!



書院

昭和57年、港区高輪の高野山東京別院新築に伴い、旧書院を拝受し青森の地に移築復元しました。昭和5年建立の深みのある風格を漂わせつつ、青龍寺境内の豊かな自然に溶け込んでおります。
当初はこの書院の一階に本尊が祀られ、本堂として使用されておりましたが、平成4年に金堂が建立されると御本尊を金堂へ遷座し、以降主要な行事は金堂にて行われています。

現在は精進料理やわんぱく小僧修行体験などを始め、各種行事、講演会場として使用されております。​
昭和大仏青龍寺 / 書院​ より抜粋

金堂から昭和大仏の方に進むと”大仏そば洗心庵”が見えてきます。蕎麦にあんみつ、五平餅など参拝の一休みとしていかがでしょう。僕は五平餅が一番好きですねスマイルセルフですが、ここでも茶を楽しめます。天気のいい日は傘の下で蕎麦をすすり、デザートにあんみつ・五平餅など最高ですね!



大仏そば洗心庵

洗心庵ではそば、うどんなどのお食事や甘物、お飲物をご用意しております。境内散策の合間に青龍寺境内の豊かな自然を感じながら、おくつろぎのひとときをお過ごし下さい。

営業期間 4月1日~10月31日
営業時間 11:30~16:30

手水舎です。清瀧の滝の向いにあります。



かっこいい龍ですね。清水が流れ出しています。



裏には小さな滝がありました。四国八十八所お砂踏霊場の方に流れています。



鐘楼です。二突き百円。昭和大仏に来たときは必ず打っています。



清瀧の滝です。注連縄がしてあり、苔むした石に囲まれています。静かな山中に水の音が響いてリラックスできるんですよ、ここ。津軽龍神霊場の札所にもなっている場所です。

津軽龍神霊場の記事については下のリンクからどうぞ!
津軽龍神霊場:全仏山青龍寺 唐国から来たりし清瀧大権現​​



清瀧の滝

水は命の源であり、滝の流れ落ちる様は命の躍動を感じさせてくれます。滝壺を打つ音は涼をもたらし、滝から生じる清澄な空気は心に落ち着きを与えてくれます。向き合うものに多くを与えてくれるこの滝を清瀧の滝と名付けました。

龍は水中に住し雨や雲を司る神として古来よりインドや中国で信仰されています。仏教においても龍は仏法守護の善神として尊ばれます。仏伝には重要な場面に龍が登場します。お釈迦様誕生の際、龍王が天から甘露水をそそぎ、菩提樹下に座し七日間の瞑想の後に成道する際にも龍王がお釈迦様を覆って風雨や害虫から守ったことが伝えられています。
また真言密教においても龍は重要な役割を担っています。弘法大師が唐に渡り密教を授かった長安の青龍寺(しょうりゅうじ)では、インド無熱達池に住む婆掲羅(沙掲羅)龍王の三女とされる善女龍王を勧請して密教守護の鎮守、「青龍」として奉祀されていました。弘法大師が恵果和尚から正統な後継者として密教を授かると、弘法大師の前にこの善女龍王が現れて三昧耶戒を受けたいと懇請しますが、大師はこれを許しません。帰朝する船中に再び現れて密教守護を誓ったため、帰朝後、大師は京都洛西の神護寺山麓に勧請しました。「青龍」が海を渡って来たので水編を加えて「清瀧権現」と改称し真言密教守護の鎮守となったことが伝えられています。
当山でも真言密教守護の鎮守として勧請し、日々報恩感謝の祈りを捧げております。仏法、真言密教を信じ行ずる人には必ずやご加護が授かることでしょう。「南無清瀧大権現(なむせいりゅうだいごんげん)」と唱えて礼拝して下さい。

滝の前の小さな池にはかわいらしい童(わらべ)地蔵が3体、蓮華の上に佇んでいます。中央の童地蔵が背負う光背は宝珠の形。風車の意匠が施されています。​

延命地蔵尊です。半跏?のような姿勢で座り、黄金の宝珠を持っているのが印象的です。



延命地蔵

お地蔵さまは他の仏さまとは違い、仏堂に安置されるよりお寺の境内、村の入口、峠、あぜ道、四辻など野山や路傍に佇んでいる姿を目にする機会が多いと思います。これはそれだけ多くの人々から身近に親しみをもって拝まれてきた仏さまである証左といえます。

右手の錫杖は各地の悩める者、助けを求める者の救済にくまなく巡行されていることを表し、その音は来訪を告げ、苦しみや厄を祓い、左手の如意宝珠は打ち出の小槌のように思うままに願いを叶えてくれます。

『延命地蔵経』には地蔵尊を信仰すれば次の十種の福に恵まれることが説かれています。
女人泰産 女性はやすらかなお産が出来る
身根具足 身体が健康で丈夫になる
衆病悉除 諸々の病気が回復する
寿命長遠 寿命は長くなる
聡明智恵 聡明で智慧が備わる
財宝盈溢 財に恵まれる
衆人愛敬 多くの人に愛される
穀米成熟 穀物など豊作となる
神明加護 神仏に守護を得る
證大菩提 悟りを得る

如意宝珠を持つ左手には紐が結ばれており、これが基壇に置かれた如意宝珠に繋がっております。お参りの際は、基壇の如意宝珠を撫でて所願成就をお祈り下さい。​​

説明書きです。



延命地蔵菩薩尊

お地蔵さまは、他の多くの仏さまとは違い、仏堂に安置されるより、お寺の境内、村の入り口、峠、あぜ道、四辻など野山や路傍に立って手が届くところにおられるのは、それだけ庶民にとって、とても身近に親しみをもって拝まれている表れです。
右手の錫杖は各地の悩める者、助けを求める者の救済にくまなく巡行され、その音は来訪を告げ、苦しみや厄を払う事を意味し、左手の如意宝珠は打ち出の小槌のように、思うままに願いを叶えてくれる事を意味します。
「延命地蔵経」には地蔵尊を信仰すれば女人はやすらかに産み、諸々の病気は回復し、寿命は長遠し、聡明で智慧が備わり、財に富み、多くの人に愛され、神仏に守護され、悟りを得るなど十種の福に恵まれることを説いています。
真言は 唵 訶訶訶 尾娑摩曳 娑婆訶

更に道を進むとボケ除き観音が見えてきます。



ぼけ除観

音日本は平均寿命が80歳を越える世界最長寿国ですが、やはり年をとっても呆けに悩まされることなく長生きをしたいものです。
観世音菩薩は人々の声にならない声を感じ取り、人々の苦しみを除いて下さる菩薩様です。このぼけ除観音は呆けを除き封じていただきたいという多くの人々の願いが込められた観音様です。ぼけ除けを念じお参り下さい。​

ついに見えました昭和大仏です。大日如来を作像したものでここまでの大きさのものは無いんじゃないでしょうか。



ここからのアングルも好きです。大日如来の前にある建物は護摩堂で、密教の護摩焚きが行われるそうです。御堂の陰になっていて見えませんが、大日如来とお堂の間に不動明王像があります。



護摩堂

この護摩堂は昭和大仏開眼30周年記念事業として平成26年9月に昭和大仏宝前に建立されました。間口2間、奥行6間という深い奥行きに唐破風銅板葺きという堂々たる威容は、巨大な昭和大仏の拝殿として存在感を充分に保ち、優美な曲線は昭和大仏の柔和な尊容と見事に調和しています。

堂内最前の柱間には香呂を据え、昭和大仏の拝殿としての役割担っております。堂内最奥には護摩壇を設え、大日如来の教令輪身・不動明王を中心に降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五大明王を祀り、弘法大師が唐より伝来された秘法である護摩供(ごまく)が執り行われます。

護摩壇中央の炉で願い事が浄書された護摩木を焚き浄め、仏の智恵を象徴する炎が高らかに燃えあがる炉に五穀や香などさまざまな供物を捧げ、内には煩悩を焼尽し本尊と不二一体となる観法を修して、災難消除、福徳円満、所願成就の祈りを捧げます。

正月三が日に新年大護摩祈祷、毎月28日午前11時より護摩供を厳修しております。是非ご参列いただき、護摩の炎を間近で感じながら心中の願いをご祈願下さい。​

不動明王像です。迦楼羅炎の意匠の細かさが、本当に燃えているかのような迫力を醸しています。



昭和大仏の内部には一代様の守り本尊が安置されています。



子:千手観音菩薩 सहस्रभुज



丑・寅:虚空蔵菩薩 आकाशगर्भ



卯:文殊菩薩 मञ्जुश्रीकुमारभूत



辰・巳:普賢菩薩 समन्तभद्र



午:勢至菩薩 महास्थामप्राप्त



未・申:大日如来 महावैरोचन



酉:不動明王 अचलनाथ



戌・亥:阿弥陀如来 अमिताभ



昭和大仏の胎内仏です。五大明王や脇侍の諸仏に守られているのが分かります。光の加減も丁度よく、非常に神々しかったです。



まだまだ仏像はあります。昭和大仏の左奥にあります、馬頭観音です。馬頭観音は観音には珍しい憤怒相の観音様です。三十三観音があるところでは、馬頭観音だけは必ず撮るようにしています。



馬頭観音

平成23年3月11日午後2時46分、突如襲った東日本大震災、さらに大津波による濁流は人家を襲い瞬時に尊き人命、家畜や愛玩動物の命までをも呑み込み未曾有の被害をもたらしました。
加えて地震による福島原発事故の大惨事は大海大地山川草木を悉く汚染し、住民に避難流浪の生活を余儀なくし、今尚汚染の恐怖におののき、復興帰郷の希望の灯火が灯る兆しがないばかりか原発事故は主なき多数の家畜生類を餓死に追いやり、或いは野生と化した諸動物は捕獲殺処理されています。又避難者達はお互い布施の心を持ち相互互助の精神をもって復興と帰郷の希望を持ち生活を続けられています。

この状況を憂えた福島県浪江町出身の篤信者が、震災犠牲者及び動物達の冥福と故郷の復興を祈り、馬頭(ばとう)観世音菩薩を造立寄進されました。馬頭観世音菩薩は忿怒の身を現していますが観世音菩薩の変化身の一つで、頭上に戴く馬の頭がひときわ目を引きます。馬が一心不乱に草を食べ尽くすように私たちの心に立ち現れる煩悩を悉く喰らって恐れを鎮め、さらには畜生類の苦を抜き化益し菩提涅槃の浄土に導く慈悲を誓願としています。
かわいらしい仏像もありました。童観音です。



説明書きです。



童観音

住職夫婦が、戦災によって荒廃した日本、そして焼土化された青森の人々が立ち上がる為には、将来の国造りを担う子供たちに、仏教による幼児情操教育の必要性を痛感し昭和23年(1948年)高野山保育園を茶屋町に開設。私費を投じて40年間、1200余名の卒園児を育て、平成元年(1989年)3月閉園されました。卒園児は勿論のこと昭和大仏へお参りされる多くの子供たちが心身共に健やかに育つことを心から願い建立されました。

童観音の隣に観音様がいました。名前は・・・何だったか、忘れてしまいました。確か慈母観音だったような・・・。



坂を下ったところに不動尊と童子が2人。左が制吒迦童子で、右が矜羯羅童子だと思いますが・・・どうでしょう。ここが東北三十六不動尊霊場の十八番札所になっています。札所記事については以下のリンクからどうぞ!

十八番札所:全仏山青龍寺 厄を滅す不動尊



説明書きです。



東北三十六不動尊霊場 第十八番 厄除不動

火生三昧に住し忿怒相の不動明王は、大日如来(昭和大仏)の使者としてこの世に現われ、剛強難化の諸人を救うという。不動経には「大智慧の故に大火焔を現じ、大智の剣をとって貪瞋癡を害し、三昧の索を持って難伏の者を縛す」とあるように、いかなる煩悩も焼きつくし、剣と索を以て人々を救うという大慈悲の御誓願をあらわされております。

不動尊の脇には、手水舎からの水が流れ込む池があります。祠や観音像・弘法大師像などが見えますね。



修行中の大師さまでしょうか。この池の周りには足型がいくつもあり、四国八十八所お砂踏霊場となっています。



説明書きです。



修行大師と四国八十八所お砂踏み霊場

弘法大師は「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きん」とご遺告をされて御入定されました。
今尚、大師の遺徳を忍び四国八十八ヶ所霊場の巡礼者が絶えません。「同行二人」の思想は、生まれてから死ぬるまで、否、死んだ未来の先まで常に大師と共に歩もうとするものです。

有り難や 行くも帰るも留まるも 我は大師と 二人連れなり。

仏足の中に四国八十八ヶ所の聖砂が納められております。青森に居ながらにして四国八十八ヶ所霊場を参拝できます。
金剛杖をお持ちになり南無大師遍照金剛とお唱えください。

斜めから。
今回はふと思い立って青森まで行きました。身も心も癒されて、大変幸せな休日でした・・・。定期的にまた来たいと思います。



以前貰った御朱印です。

本尊:大日如来(昭和大仏)



今回貰った御朱印です。

山門:四天王像



以上です。


調子に乗って撮った写真ギャラリー

池の中の観音像



花まつり



天上天下唯我独尊



五重塔






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.06.10 21:50:58
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.