カテゴリ:短歌
12月7日『NHK短歌』 題「鍋」または自由 選者 栗木 京子 特選三首の中から、私が注目した歌にコメント。 鍋囲み家族と笑ひあひながらコンロの小さき火をみつめゐる作者は16歳なんだそうだ。そうすると状況がだいぶ見えてくる。家族と表向きは親しくしている。しかし、作者は“鍋の下にある”小さな火――それは下に隠された自分を象徴する――を見つめながら、家族とは隔絶した自分独自の世界があることも感じている。「なんか違うんだよなあ。」という思春期特有のぼやきが聞こえてきそうな気がする。 気に入りの銅鍋ひとつ磨きあげ白内障の手術日決める鍋をきれいに磨き、さあ次は自分の目玉もきれいにしようというわけだ。手術を決心するために鍋を磨いて、逡巡する自分の心の垢を落としたとも言える。 タカヒコさんの箸の進みを気にかけつつ娘夫婦と初めての鍋選者のいうように、「タカヒコさん」という片仮名表記がなかなかいい。まだ呼び名だけで中身がはっきり見えて来ない段階の微妙な人間関係を表わしている。鍋は本来ならば一家団欒を象徴する料理だが、それにどこまで入ってきてくれるのかが気にかかっている。 では、自作。 原形に遡らずに不遜にも統一せむと一点にする謎えーと、今回は解説ぬきでは意味不明だが、じつは時事ネタで遊んでみただけで、歌としての価値はほとんど無し。新たに「遡」「遜」「謎」が常用漢字に加えられるにあたって、もともと二点のシンニョウだったのに他の常用漢字に合わせて一点のシンニョウに統一しようという反論が文化審議会の漢字小委員会の中にあるらしいのである。 元を糺せば旧字体はすべて二点シンニョウだったはずで、戦後告示された「当用漢字字体表」で一点に簡略化されてしまった。本当は、すべて二点に戻して一点シンニョウも許容するというのでもいいんじゃないのか? ちなみに、活字では「之」のように左下にまっすぐ下がってくる形になっているが、手書きの時はくねくね曲がって下がってくる。これは之の上の点を続け字にして書いたものとも言えるわけで、その上にさらに点が付くわけだから、手書きのときはみんな二点のシンニョウを使っているのだと言えないこともない。だから、活字と手書きの形の違いをきちんと説明して、どっちでも許容すればいいのではないか? ま、シンニョウだけにシンチョウに議論を重ねて下さ~い。(^▽^ゞ 《『NHK短歌』のホームページ》 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
|