テーマ:ニュース(99473)
カテゴリ:歴史と教育
渡来系の一族が古代に土木工事をしていたというのは一般に考えられてきたことだが、それが木簡によって裏づけられた。 ↓写真はこのサイトで御覧ください。
場所を確認したい。《こちらの地図》をみると、左下に薩摩が右上に檜隈(檜前)がある。数kmしか離れていないのだから、このあたりは檜前氏のホームグラウンドだったと思われる。地図の範囲を拡大していくとわかるように、ここは明日香村の西のはずれと言ってよい。 「波多里長」というのも興味深い。ひょっとして波多は秦ではあるまいか。檜前氏が東漢氏系統だとすると秦氏の里の長になっているのは不自然だが、ひょっとしたらこのあたりでは秦氏が没落して代わって檜前氏が有力になったのではあるまいか。飛鳥時代といえば聖徳太子を連想するが、秦河勝は聖徳太子に仕えたとされる。だからこのへんに秦氏の里があってもよさそうだ。 いろいろ想像を拡げていくとまたトンデモ系になってしまいそうなので、今回はこれくらいでやめておく。(^^; 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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