まずは高田正子の添削から、私の注目したものにコメント。(※高は Unicode 9AD9)
〔原句〕一茶より五つ年上古希の春
〔作句意図〕一茶は享年六十五歳。小生七十歳体調やや不良。〈目出度さもちう位也おらが春 一茶〉の心境にて。
札幌市豊平区 岡本清
〔添削者コメント〕俳句は詠まれている内容が大切なのはもちろんですが、目で見て耳で聞いて楽しむ要素もあります。表記や音の響きに留意して、推敲してみるのもよいでしょう。
例えば「こき」は「古希」、「古稀」どちらの表記もありますが、中国の詩人杜甫の詩の一節「人生七十古来稀なり」に基づく言葉ですから、「古稀」を選ぶのもよいでしょう。それに伴い「五つ年上」を「五歳年長」とすると、見た目も音もやや漢詩風の印象になります。一茶も杜甫も入ってめでたい新春の一句です。
〔添削例〕一茶より五歳年長古稀の春
和風か漢風かの違いがよくわかるが、この場合はどうなのか。蕪村ならば漢風でもいいのだが、一茶だとあえて和風にしておいたほうがうまく響きあうような気がする。そのほうが、一茶から「ふーん、だからどうした?」と笑われてしまいそうで楽しい。
〔原句〕薄氷(のはじめの一歩をそっと踏む
〔作句意図〕故郷の山に登ったとき、薄氷を見つけました。手で触れ足で踏んでみたときのことを思い出しながら詠みました。
愛知県安城市 鎌田 京
〔添削者コメント〕そのときの感触がたちまち甦り、思わず童心に帰る句です。一般論としてはこれでよいのですが、作句意図にある「故郷の山」を生かすと、作者だけの特別な一句になります。
〔添削例〕ふるさとの山の薄氷そっと踏み
普遍性よりも個別性を追求した句になった。というか、その個別性の中に普遍性が透けて見える。みんな童心にかえってなつかしい気持ちで薄氷を踏んでみたいからね。(^^ゞ
次に三村純也の添削から、私の注目したものにコメント。
〔原句〕品数を誇れる妻のおせちかな
〔作句意図〕毎年、暮には「作るのが大変だから、品数を減らしたい」と言いながら、結局頑張って孫娘と品数を数えている妻です。いつまでも元気でいてもらいたいです。
三重県四日市市 土岐 匡
〔添削者コメント〕品数豊富におせちを手作りされる奥様は、本当にすばらしい方ですね。この句はこのままでもいいと思いますが、より奥様のご苦労と満ち足りた様子を想像させるには、次のようにしたら、余韻が深まるのではないでしょうか。
〔添削例〕手間暇を誇れる妻のおせちかな
手間ひまは“誇る”ものだろうか。作る過程をいちいち説明しても男には理解できないだろうし、やっぱり誇るのなら一目瞭然の品数かと。(^^; 凡庸にはなるが「手間暇をかけたる妻のおせちかな」のほうが美味そうで (-人-) な感じになると思うんだが。
〔原句〕早(や早(やと雨戸繰り出す雪の午後
〔作句意図〕朝からちらついていた雪が、昼頃から本降りとなりました。訪ねて来る人もいない山家(やまが)なので、防寒も兼ねて、日暮れを待たずに、雨戸を閉ざしました。
愛知県新城市 鈴木辰彦
〔添削者コメント〕雪深いところの生活感は、よく出ています。ただ、「早や早や」というような副詞は、現在は平仮名表記が一般的です。それと、「雪の午後」では、雪の午後に雨戸を閉ざしたという報告で、山家の寂しさ、あたりの静けさが、あまり感じられません。余情ある表現を大切にしたいものです。
〔添削例〕はやばやと雨戸を繰りて雪ごもり
これは“雪ごもり”という言葉が素晴らしい。単なる報告が一挙に詩的世界になった。
〔原句〕日差し浴び雪達磨(やや俯(きぬ
〔作句意図〕年が明けて寒気がゆるみ、正月に子供らの作った雪達磨も小さくなってゆきます。
福井市 末棟倫子
〔添削者コメント〕この句はこのままでもいいと思います。ただ、欲を言うと、「やや」が少し説明臭いのです。文法的に言うと、「やや」は副詞になります。例外はいくらでもありますが、副詞をやたらに使うと、せっかくいい発見が、説明報告に終わってしまうことも多いのです。この句も、意味としては、少し俯いたと言わなくても、俯いたとするだけで、だんだん解けて来たことは想像できるでしょう。それで「俯いてゆく」として、中七に置いてみました。
〔添削例〕日差し浴び俯いてゆく雪達磨
原句は一時点を捉えているが、添削例には時間的幅がある。そして、「ああ、崩れる、崩れる……」という、ちょっとした不安定感が出て来る。
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