テーマ:俳句(532)
カテゴリ:俳句
12月21日『NHK俳句』 兼題「冬芽」または自由 選者 正木 ゆう子 特選三句の中から、私が注目した句にコメント。 今年は21日が冬至らしい。冬至までは徐々に日が短くなっていって、それから再び長くなってくる一陽来復の日。植物では、見かけの上では葉がすべて落ちてもやがて来春に出てくる葉が芽として現われてくる。いかにも冬至の当日に放送するにふさわしい季語だ。(^^ゞ どの枝も冬芽ゆたかに大桜来春の見事な満開の桜が想像されて楽しくなってくる。 公孫樹八〇〇年の冬芽かな公孫樹をイチョウと読むだけの国語力が私からすでに失われていたことを発見。(^^; 800回も新芽をつけてきた堂々たる年月の重み。でも、そこまで来るとその樹のもつ生命力というよりも、その樹自身は何もせずにもっと大きな力に今年もまた突き動かされているという感じがしてくる。その樹を包み込むように神が依り憑ついているという感じではないのかな? 秋惜しみ筑紫哲也を惜しみけり追悼句だが、亡くなったのが立冬の日だそうで、「秋惜しむ」がうまくはまる時事の句でもある。私としてはそんなに好きな人物ではなかったので惜しいという感じは少ないのだが、いつもテレビで見て親しみを覚えていた人には、心に染みる句かもしれない。 では、自作。むしろ枯葉の側のσ(u_u; には冬芽は詠めないので、別の季語で。 世界的不況はじまり果ての月果ての月は12月の異称。10年後、20年後にこの句がどう感じられるかが楽しみ・・・と言っていられないくらいヤバイ時代に突入したと思うのだが。。。(-_-; 《『NHK俳句』のホームページ》 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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