カテゴリ:短歌
高野公彦選の入選と佳作から、私の注目した歌にコメント。 美しき花咲く裏に大きなるナメクジリ棲むスイスと言ふ国ナメクジリはナメクジの別称。湿地ならナメクジがいて当然なのだろうし、また日本人がやるように、それを丁寧に除けて人為的な自然を作り出すこともない。むしろ日本が特殊なのかも・・・と思ってしまった。 喧噪の街を逃れてコンクリートの箱に戻り来ひんやり癒さる普通は“土に癒される”というような帰結になるものだが、“コンクリートの箱”(アパートかマンション?)というのが面白い。しかも“ひんやり癒さる”だから、おそらく殺風景な場所で、ただ何の刺激もないから、のぼせだけが冷めていく。明るくスッキリするわけではないところが、現代の都会人の置かれた状況なのだろう。 ケイタイの語彙の少なさ 限界のなかで未来の大人が育つケイタイ短歌やケイタイ俳句だったあるのだろうから、必ずしも語彙が少なくなるわけではないと思うが。まあ、ケイタイに忙殺されてゆっくり考える時間がなくなると問題が出てくるだろう。私はインターネットを使うようになってから自分の知識の少なさを実感することばかりだから、要は“全体的な見通し”をもつ訓練をすればいいのではないかと思う。偉そうに言う今の大人だって十分に近視眼的だ。 今日も咲くコップの中の水中花ハローワークの踊り場の窓ひょっとして失業中の人か? “今日も”だから、職が見つからずに何日も通っているのだ。がっかりして帰るときにふと目に留まっているのかもしれない。なんだか虚しいね。 マンモス校閉校したとうメール来て寂れし団地の青空想うたとえば多摩ニュータウンみたいな場所だろう。よく晴れた日に団地の前でみんな楽しく遊んでたよね、という思い出。世代がわかるなあ、という歌である。 《『NHK短歌』のホームページ》 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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