カテゴリ:短歌
『NHK短歌』2008年5月号のその他もろもろの歌から、私の注目した歌にコメント。 屋敷神のかたへにいます石仏のいつしか母の面差しに似る《屋敷神》は、その家の祖先神と言える。また、この石仏は、おそらくはお地蔵さんか何かなのだろう。理屈で考えれば、屋敷の周辺にいつもいて子の安全を見守っているのは母親だから、この石仏が母親を象徴するものだと言える。母は他家から嫁いだのだから、屋敷神の傍らにいることにもなろう。さて、客観的には母親の面差しと石仏の面差しとはだいぶ違うのだろうが、作者のイメージのなかでは両者の共通点が強調されて浮かび上がってきた。作者のなかで母親も美化され、石仏も庶民的な色合いに染められてきた。 以下は戦争の歌。 臍の緒は、いわば母子の最も確実なつながりを象徴するもの。骨を墓に納められないので、代わりにその臍の緒を納めた。そのつながり感覚まで手放して墓に葬ることになったのではあるまいか。夫を亡くした妻としての作者も悲しいが、実の母はもっと悲しいのかも・・・。 手を胸に入れて明治時代の奔放なエロスではなくて、昭和の抑制されたエロス。運命の力によって満足を断ち切られたエロス。 夢に立つ夢で性交するのはむしろひどく性欲が抑圧されているとき。だから、ふつうは恋人や夫婦でもお話をするくらい。この夢の場合は、むしろ会いたいという思慕の情が強いことを暗示している。しかし、会えば触れたいのが人情でもある。そこらへんがこの歌の核心。 夫還る友みんな一緒、平等……はあり得ない。戦争で夫を亡くした妻たちは、他者一般の境遇から運命的に引き裂かれ、それぞれに胸の痛みを抱えていた。その痛みの個別性は、夜にもっとも端的に現われてくる。 《『NHK短歌』のホームページ》 人気blogランキング ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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