カテゴリ:カテゴリ未分類
「記・紀」等の日本神話で語られる「御剣」は、大きく分けて二種類あるとみることができる。 それは、スサノヲがヤマタノオロチを退治した際に、その尾の中から得たとされるのが「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」(元の名は「天叢雲剣」)であり、そしてもう一本の御剣とはオロチ退治の際にスサノヲが使った「十握剣(とつかのつるぎ)」(別名は「布都御魂剣」)である。 この「二本の御剣」の内、皇位継承の〔三種の神器〕の一つとされるのが、アマテラスに献上されたヤマタノオロチ系の「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」であり、現在は名古屋市に鎮座する「熱田神宮」の御神体として祀られている。 そして、もう一方のスサノヲ系の「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」は、現在は奈良市に鎮座する「石上神宮」の御神体として祀られている。 さてここで、皇位継承の宝剣「草薙剣(天叢雲剣)」について、興味深い説があるので紹介したい。 それは、その「草薙剣」の本質は何かについてなのだが、ある日本神話の研究者によれば、それは南半球の夜空に輝く「南十字星」になるそうである。 ☆参考図書・・・書名「星空の卑弥呼」・榊 晶一郎 著作・大洋出版社 刊(2004年) 私も古代史に関する多くの書籍に触れてきたつもりだが、この「草薙剣」に関して、最もその本質を言い当てていると感じたのが、その「草薙剣=南十字星」説であった。 その説によれば、地球は最差運動をしているため、古代の天空に浮かぶ「南十字星」は、現在よりかなり高い位置に輝いていた。 それを例えば、「スサノヲ」が活躍していた時代には「南十字星」の全体像が見えていたので「天叢雲剣」と呼ばれ、時代は下って「ヤマトタケル」の時代には高度が低くなり、草を薙ぐように巡っていたから「草薙剣」と呼ばれたらしいのだ。 ちなみに、スサノヲが退治した「ヤマタノオロチ」の本質とは「うみへび座」のことで、その星座の形状たる蛇体の尾の近くに「南十字星」が輝いているというわけである。 簡単に抜粋した以上の内容から、南半球の北極星たる「南十字星」が、〔三種の神器〕の「天叢雲剣」であり「草薙剣」であるとする説に、信憑性があるものと判断するところである。 ところで、ここで思い浮かんでくるのは、源平合戦の最後である「壇ノ浦の戦い」において、〔三種の神器〕は海に沈んだとされており、その内の「御鏡」と「勾玉」は回収されたのだが、未だに「草薙剣」が発見されていないという伝承である。 そこで私見ではあるが、その「草薙剣」の本質が「南十字星」だとすれば、既に12世紀末頃の「南十字星」は際差運動のために日本本土からは観測しづらい状況にあり、その頃から「南十字星」を指標とする信仰が薄れていったのではないか・・・と、そのように考えてみたい。 この度の原発問題から波及して、地球の主に北半球に生活する人々が生み出してきた科学文明が、完膚なきまでの行き詰まりを見せたこの時節に、ここで改めて「南十字星」を中心の星座とする南半球に古くから暮らしてきた人々の世界観を仰ぎ見てみたいと感じる今日この頃である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月09日 12時23分03秒
|
|