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まず冒頭の画像は、宇久平港のターミナル近くにある「 平 家盛 と藤原久道の銅像 」を映したものだ。 この家盛(いえもり)に従って宇久島に渡った五人衆の一人、藤原久道の書き残した資料によると… ◎平安時代後期、家盛は文治3年3月26日(1187年)宇久島西端の火焚崎(船隠し)に上陸、領主となった家盛は宇久氏を名乗り、以降七代約200年間にわたって宇久島を治め、五島一円に勢力を拡大した。
◎また当時、家盛を助けたと伝わる平の海士には、恩賞として海の侍としての士族の位を与えられ「海士(あまんし)」という呼び名をいただき、加えて永久採鮑権として五島一円にわたる鮑(あわび)を採る権利が与えられ、昭和26年に長崎が補償金を出して買い取るまで、代々受け継がれた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月30日 07時37分43秒
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