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真理探究と歴史探訪

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2018年09月29日
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まず冒頭の画像は、宇久平港のターミナル近くにある「 平 家盛 と藤原久道の銅像 」を映したものだ。

この家盛(いえもり)に従って宇久島に渡った五人衆の一人、藤原久道の書き残した資料によると…

◎平安時代後期、家盛は文治3年3月26日(1187年)宇久島西端の火焚崎(船隠し)に上陸、領主となった家盛は宇久氏を名乗り、以降七代約200年間にわたって宇久島を治め、五島一円に勢力を拡大した。


◎その後、福江島に渡り居城を築き、五島を統一し現在に至っている。このことから、宇久島は五島氏の発祥の地、そして 平 家盛 は五島氏の始祖として輝かしい歴史がある。

​​◎また当時、家盛を助けたと伝わる平の海士には、恩賞として海の侍としての士族の位を与えられ「海士(あまんし)」という呼び名をいただき、加えて永久採鮑権として五島一円にわたる鮑(あわび)を採る権利が与えられ、昭和26年に長崎が補償金を出して買い取るまで、代々受け継がれた。



そして港に近い平地区にあって、宇久氏の菩提寺として家盛公が建立したとされる「東光寺(とうこうじ)」には、本堂の裏手に家盛以下七代の墓が祀られていた。その墓の横に立てられた解説板を映した画像が上である。

地元の歴史に詳しい方にお話を伺うと、この東光寺は山口県長門市の「大寧寺(たいねいじ)」より勧請された曹洞宗の寺院とのことで、山口を拠点とした大内氏が日明貿易で財を成した時代に、平戸島にも近い宇久島を重要視していたことがうかがえた。



次に紹介するのは前回の日記でも書いた、この度の宇久島探訪で浮かび上がってきた「古代の祭祀線」の基点に関してである。その基点として注目したのが、宇久町平の山本地区に鎮座する「山本神社(妙見神社)」であった。

私の姓と同じ「山本」の社名のため魅かれたというところもあるが、この「山本神社」を訪れてみると当日の9月23日は、奇しくも当社の「例祭」の日取りということで、上の画像のように境内には二本の幟が立っていた。



そこで、なぜこの神社に注目したかと言えば、上の画像の地図に「赤色の直線」で描いたように、当社から右横の道路に向かって、絶妙な角度の真っ直ぐな「参道」が地図上で確認できたからであった。

ちなみに地図に描いたもう一本の「緑色の直線」は、当日「秋分の日」の太陽が真東から昇り真西に沈む「東西の軸線」を意味している。

その注目した当社参道の「赤線」が示す絶妙な角度とは、「緑線」と交差する場所に鎮座する山本神社を基点として、真東から南方に約15度の角度である。

その参道方向が示す約15度の角度は、「10月23日頃」と「2月20日頃」の東南東の海上から昇ってくる朝日を拝する方位であり、この年間の四季を象徴する二至二分(冬至・夏至・春分・秋分)を外れた言わば特殊な方位は、実は太古の縄文時代より特別な祭祀線とされてきたことが分かっている。

◎参考書籍・・・​『 金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド 』

ちなみに、この山本神社の参道が示す方位と同様の参道がある代表的な神社として、福岡県福津市に鎮座する「宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)」が挙げられる。

この宮地嶽神社の参道は、山本神社の参道とは反対方向、つまり夕日が西南西の海に沈む方位に形成されており、かつて当社の特異な参道方位に関し上掲の書籍を参照して書いた記事が以下である。

☆関連記事・・・​”光の道”のその先に・・・(1)



さて上の画像は、「山本神社」の由来書を映したものだが、とりわけ興味を惹かれるのは主祭神の「天之常立神」である。かつて全国の主要神社を廻り歩いた経験からも、この祭神を主神として祀る神社に遭遇したことは記憶に無い。

・・・「八百万の神々」は「天空に輝く星々」である・・・との観点から、この「天之常立神」の本質たる天体を挙げるとすれば、それは夜分に東北方位から常にそそり立つかのように昇る「北斗七星」を想定することができよう。このことは由来書にもあるように、当社の別名が「妙見神社」となっていることからも察することができる。



この画像の地図は、上掲の地図を少し拡大して、同じ「緑線」と「赤線」を引いたものである。

山本神社を基点とし東南東方位の海まで引いた赤線の中央部に楕円状に囲んだ場所があるが、同所は神社と同じく山本地区に存在し、旧石器・縄文・弥生・古墳・中世時代の文化財が出土した「宇久山本遺跡」という古代遺跡の範囲を示したものである。

この狭い遺跡の範囲内に、およそ3万年にわたる人間の生活の痕跡が折り重なっていたかと思うと、古代人にとってこの高台に位置する場所が、よほど重要な拠点だったことがうかがえて、感無量の思いに浸るのであった。



次に上の画像は、前方に見える海に向かう山本神社の参道を、本殿を背にして東南東(真東から南に約15度/掲載地図では赤線)の方位に撮影したもので、その海原の遠方に霞んで見える島影は「平戸島」である。

画像中央にある鳥居の左上に見える山は、平戸島の南端にある「志々伎岳(347m)」、同じく鳥居の右上に見える山は「屏風岳(394m)」、そして参道が指し示す方向にある小山は「浜岳(235m)」だ。



そこで上に記した平戸島の南方にある3つの山と、参道から引いた方位線との関係は、上掲画像の拡大地図と見比べてみると分かりやすいかと思う。

これらの現地写真と掲載地図を俯瞰して観ていると、おそらく古代より宇久町平の港湾地区では、この参道の真向かいとなる「浜岳」辺りから朝日が昇る年二回の月日(10/23・2/20)が大切にされてきたのではのではないか・・・という想いが、自ずと脳裏に浮かんでくるのであった。



私がこの年二回の日取りに注目するのは、一方の10月23日頃は「冬の始まり」を告げる月日とされ、もう一方の2月20日頃は「冬の終り」を告げる月日であり、この約120日となる冬の期間は、かつて宇久島を含むこの地域で「捕鯨(鯨漁)」が盛んに行われた時季に相当するからである。

資料によると捕鯨業は「冬から春にかけて」の猟期とされ、特に長崎県の西北海岸に発展した理由として、潮流と地形という自然条件があったとのこと。

つまり平戸・宇久島と対馬の間の海は、対馬海流(暖流)とリマン海流(寒流)が流れ潮目になっており、初冬にこの寒流に乗った多くの鯨が、オホーツク海からこの地方へ餌を求めて南下し、春口には逆に北上するという習性があったことに加えて、複雑な海岸線と島の多い地形が、良好な捕鯨基地としての港を多く提供することになったということだ。

年間でも初冬から翌春にかけた時季に、鯨を獲物とする常習的な捕鯨が行なわれていたことから・・・宇久島の山本神社の参道が示す方位線は、毎年の冬の捕鯨期間を知る指標として、当社が創建される以前から太古より連綿と受け継がれてきたのではあるまいか・・・などと、想像を逞しくするところである。


そこで上の画像は、「東光寺」と同じく家盛公の創建とされ平港の近くに鎮座の「神島神社」の境内にある「鯨」を象った灯篭を撮影したものである。風化のため尻尾の部分は折れてしまっているが、後にも先にも鯨が象られた灯篭を見たのは初めてであった。

加えて日本各地に鯨を供養した寺があるとされているが、この宇久島には下の画像のように、家盛公の創建とされる真言宗の「毘沙門寺」の境内に「鯨魂」と刻まれた供養塔があった。

これらを見ていると、長年にわたり「鯨」の恩恵にあずかってきた、島民の感謝の思いが伝わってくる。



下の関連記事にも書いたことがあるのだが、実は私自身の先祖を辿ると、江戸時代の初めに壱岐・対馬や五島列島など西海の漁場に伝播した「大敷網漁法」を開発した先祖がいたり、山口県の西北端で捕鯨を生業とする網元が先祖にいたことから考えると、「彼岸の中日」に捕鯨の盛んだった宇久島に渡ることができたというのも、自然な成り行きで先祖供養に繋がったということなのかもしれない。

☆関連記事・・・​九州中部地域の歴史探訪(4)



上の画像に映る朱色の綺麗な花は、宇久島に自生する絶滅種で「彼岸花」の原種とされる「貉の剃刀(ムジナノカミソリ)」を映したものだ。

その凛とした佇まいに、太古より変わらぬ「縄文の息吹き」を垣間見た思いである。

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最終更新日  2018年09月30日 07時37分43秒


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