|
カテゴリ:文化&歴史&社会
20世紀初頭、エジプトにはまだ階級社会が残っていたのでダンサーは高等娼婦を兼ねていました。
その当時、この社会的地位に生まれた者は婚姻が認められず、私生児で子供を産み、 かつ子供は母親の社会的地位を継ぎました。 エジプト生まれでイスラム教徒で無く、ドイツで博士号取得をした男性からこの社会的事情の説明を受けたのでそう嘘ではないと思う。 彼女達の踊りはその時代には「バラディ」と呼ばれていたそう。 日本語の高等娼婦という言葉は当て嵌らなく、 「日本の京都の芸者さんや銀座のホステスクラスの女性を想像すれば良いよ。」 と軽く言っていました。 たまには下原稿を書き進め様と思って、ネットで調べていたらイスラムの「石打ち刑」を見てしまい、 ますますイスラム教徒が嫌いになった。 イランで女性7人に石打ち刑の判決 ナイジェリアでまた女性に石打ち刑判決 私は自分に踊りを教えた先生の事は日本人女性の先生の事意外話した事がありません。 アラブ人女性からも習っています。 もちろん踊り以外の彼女の女としての生き方もちゃんと見せてもらいました。 彼女も未婚で妊娠しても当たり前の顔をしていたし、子供が授かったことを非常に喜んでいましたた。 そして彼女を養女として引き取ったダンサーも(身分制度があった時代の女性) やはり私生児で娘を産んでいます。 アラブの国の政治的な意味を含めた男の対面と実際に住んでいる人達の現実のギャップは大きい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.10 14:52:32
[文化&歴史&社会] カテゴリの最新記事
|
|