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カテゴリ:オリジナル小説
「最後の涙雨 -下-」
夢のような出会いだった。 あれほど美しい人と話すことができるのが幸せだった。 クレイは雨が降るたびあの湖へ向かう。 時々笑いかけてくれるようになった彼女が嬉しかった。 三人だけの秘密の出会い。 しかし、やがてホミンは湖へ行くのを止める。 クレイはその理由は気にならなかった。 湖では二人だけの時間が流れた。 やがて少年は大人へと成長する。 水の精はその姿を変えることなく、彼を迎えた。 「あら、雨が降ってきた!」 もうすぐ夜になろうかという時、友達の声にホミンは空を見上げた。 あの人が泣いているのね。 「どうしたの?濡れるよ、ほらこっち。」 ミーネに腕を引っ張られ、木陰で雨宿りをする。 「まーたクレイはどっか行ってるんだろうなー、時間があれば雨の時はいっつもどっか行くんだから」 「うん、そうだね。」 さすがに働き出した今は昔ほどではないが、きっとクレイはランダのところへ行っている。 慰めを必要としない水の精の元に。 何年経っても変わらないあの美しさ、成長していく自分との差に、ホミンはランダの所へ行くのを止めた。 本当は二人っきりにしたくない気持ちもあったが、いたたまれなさが勝ってしまった。 自分は完璧に負けたのだ。 「ちょっと、どうしたのよ暗い顔してさ。」 ミーネが顔を覗き込んで来る。 「そお?そんな事ないよ。」 にっこりと笑ってみせる。笑顔には自信があった。 感情豊かになる事、それくらいしか対抗手段がなかったから。 「雨止みそうにないね、私の家の方が近いからそこまで走ろうか?」 二人は子供っぽい歓声をあげながらミーナの家へと走った。 「ほらタオル。」 ひっ詰めて上げていた髪を解き、タオルを受け取る。 「私さ、ずっと思ってたんだけど、髪下ろしたほうが可愛いよ。これから降ろしたら?」 「えー、あんまり降ろすの好きじゃないからいいよ。」 本当は降ろしたかった。髪を伸ばし始めたのはあの人のようになりたかったから。 結局似ても似つかない自分が惨めで、降ろす事はしなくなったが、短くしないところに未練がある。 髪を拭く前に、髪を止めていたバレッタを丁寧に拭った。 「それ、クレイに貰ったって言ってたやつ?」 無意識の行動だったので、見せ付けるような行動に反省する。 「え、うん。せっかく貰ったから……。」 貰ったから、の後の言葉が続かない。 そう、クレイはいつも私に気を使ってくれる。 誕生日にはいつも何かくれるし、村の祭りではいつも私を誘ってくれる。 だから分からなくなる。 そこかしこにある未練を捨てきれない。 雨は止んでいた。 闇が包む道を家へと向かう。 「ホミン?」 振り向くまでもない、クレイの声だった。 「今日も、行ってきたの?」 知らず知らず声に棘が混じる。 「ランダのところ?そうだよ。」 何の悪気もない声、それを求めるのは分かっているけど表情が暗くなる。 何を勘違いしてか。 「ひょっとして冷えた?ちょっと待ってて。」 違うと言う前に、露天へ走っていく。戻ってきたその手には温かいスープがあった。 「はい。」 そう、この優しさがあるからクレイを諦めきれないんだ。 「ありがとう。」 心からの笑顔を浮かべた。すぐさまスープに目を落としたので、ホミンはクレイの照れた顔を見逃した。 「今帰りだろ?暗いし送ってくよ。」 クレイはそっとホミンの背に手を回した。 その背中に感じた手に押され、ホミンの中でもう一度勇気が芽生えた。 自分の役目に対し、使命感はあるが、その他の感情を抱いたことはなかった。 今はこの涙を流す度ある期待が生まれる。かといって、常に雨を降らせるわけにはいかない、世界のバランスがある。 だから雨を降らせるたびに来て欲しかった。大人になって役目があっても。 今日は来るだろうか? 前回も、その前もクレイは姿を現さなかった。 湖に写る無表情の自分の顔を見る。 クレイは私の表情が変わるようになったと言う。 私が笑うとクレイも喜ぶ。 もっと笑えるようになるのはどうしたらいいんだろうか? クレイはホミンのように笑えたらといつも言う、どうしたらあの子を超えられるのだろうか? 「ランダ。」 ああ、来た。 「クレイ、待っていた。」 「ごめん、最近は仕事が忙しくて。」 「それは分かっている、でも待っていた。」 率直な言葉にクレイは苦笑した。表情の変わりに語彙が豊かになってきたような気がする。 ランダを変えたのが自分だと思うと、彼の中に何ともいえない満足感が満ちてきた。 「そっか、なるべく時間がある時は来るよ。」 その言葉が嬉しかった、嬉しかったのに満面の笑みを浮かべられない。 何故自分は水に生まれたのか、表情豊かな風に生まれたかった。 自分に笑いかけるクレイの表情が愛しくて、躊躇うことなく手を伸ばした。 自分は醜い人間だと思った。 だって、人と水の精でしょう?いつかはその関係が壊れる日が来る。 そんな事を考える自分が嫌だった。 その日を待って、何も行動せず、負けたと逃げている自分は卑怯だ。 だから、あの手のぬくもりを支えにして、もう一度向き合ってみたい。 あの人の前に立って、逃げ出さない自分でありたい。 逃げたくない逃げたくない逃げたくない。 森の中を、私はまとめ上げてる髪を解きながら駆け抜けた。 大丈夫、大丈夫大丈夫。 そして、私は何年ぶりかにランダとクレイを見た。 「ホ……ミン?」 最初に気づいたのはランダだった。 ホミンはすぐさま後悔した。何故大丈夫と思ったんだろう?寄り添う二人を見なかったら、希望だけは持っていられたのに。 「え?ホミン。珍しいな、ここに来るなんて。」 クレイは相変わらずの口調で言う。きっとクレイにとっては何でもない事なんだ。 悔しかった、自分が惨めで惨めで、涙が出てきた。 きっとくしゃくしゃにゆがんでいるはずだ。 よりによって、あんなに美しい涙を流す人の前で泣くなんて。 「ホミン、どうしたんだ?」 クレイがあわてて声をかける。 「……って。」 「え?」 「私だって側にいたのに。ずっとずっとクレイの側にいたのに!!」 なんて醜いことを言ったんだろう。 ホミンはいたたまれなくなって、今来た道を駆け出した。 「ホミン、ちょっと待っ……。」 クレイは激しく動揺した。 ランダは始めて見るクレイの様子に驚いた。それは自分の前でいつも微笑みかけてくれる彼ではなかった。 「クレイ……?」 泣かせてしまった。自分のせいだ。ランダの声すら耳に入らなかった。 クレイは気づいていた。 湖にいない、普通に生活する時間、それはホミンとの時間だった。 いつもまとめている髪を下ろしてここに来たホミン。 クレイは駆け出した。 「クレイ!」 走り去るクレイを呆然とランダは見送った。 分からない、いや、自分に声をかけてきてくれた時も、私が涙を流していた時だった。 だからホミンを追いかけたのだろうか? 「ランダ、それは違うよ。 ……おいで。」 気づくと側にニューザがいた。 「どこへ。」 「いいから。」 彼に連れられ、湖を離れる。初めてのことだった。 ミューザが目指したのは森の途中で抱き合うクレイとホミン。 幸せそうに涙を流すホミンの何と美しいことか。 自分の乾いた涙とは大違いだ。 ランダの瞳に自然と涙が浮かぶ。 「ランダ、それが泣くという事だよ。」 両手で顔を覆って泣くランダを軽く抱き寄せる。 その涙に誘われて雨が落ちてくる。 「あの少年がお前に教えてくれたんだ。 ……本当は俺がその役目を負いたかったんだがな。」 ハッとランダは顔を上げる。 今のランダにはその意味が理解できた。 「さあ、それ以上の涙を流すならこの地を離れないと。」 そうしなければ、感情で流す涙で雨が溢れてしまう。 ミューザは自分の指を軽く噛み切り、一滴、地面に血を落とした。 その瞬間大地に癒しの波が走る。 ただ土に触れるだけで大地に恵みをもたらす土の精、大地に染み込む血を落とすことにより、永きに渡る恵みがもたらされる。 水の精が去る事による害を、少しでも埋めることが出来るだろう。 「ランダ、俺と行こう。」 ミューザがそっとランダに手を伸ばす。 「……はい。」 その手をしばらく見つめ、ランダはゆっくりと微笑んでその手を取った。 今、ランダの瞳に流れる涙、それがこの地に流れる 最後の涙雨 -完- -上- オリジナル小説一覧へ 一言 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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