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小林多喜二のドキュメンタリー映画の試写会を、
友人から、紹介され、行ってきた。 試写会というものは、初めてだった。 新橋で、降りて、交番の横の、入り口から、 山手線高架下の地下に入る。 「国映」きいたことは、あるが、マイナーな映画会社ではないだろうか。 「小林多喜二」は、「蟹工船」と「党生活者」を読んで、 その映像的リアリティに、最近、妙に、心惹かれていたのだ。 その2作品以外、よく知らないし。 「社会主義=アカ」=怖ええ、という、印象しかないものの、 「小林多喜二」の小説世界は、 全体主義下の、ハードボイルドスパイ小説のようで、 (「1984」ジョージ・オーウェル) 今の、私には、どこか、SFに感じてしまうのだ。 しかし、これが、1920~30年代の、ごく最近のことで、 しかも、満州事変の同時代、特高の拷問にあって、獄死した、 というから、ドラマチックだ。 遺体の写真が、痛ましい。 両腿もが、拷問による、内出血で、どす黒くなっていて、 体中、傷だらけだ。 戦争が、財閥(資本家)の利益のために行われているとのことから、 「戦争反対」「天皇制反対」で、人間の尊厳などを、 アングラ社会活動によって、希求しつづけて、 目をつけられたらしい。 人々の頭から「天皇制(封建制)」を引っこ抜き、 少しでも、人々が、人間らしい生活を送れるように、 政治活動を行っていたようだ。 「左翼映画」なのかなぁ。 そういう政治的「きなくさい」感じは、好きじゃないけど、 「治安維持法」などによって、 「一億玉砕」的な「大東亜戦争」への 「カウンターカルチャー」として、 頑張っていたことが、伝わってきて、 マルクス主義とか、共産主義とか、社会主義って、 よくわからなし、また、あまり、わかりたくもなけど、 戦時下は、人間の生命を大切にしようとしていた、 孤高の精神を持った人々だったんかなぁ、と感じた。 とっくに、共産主義なんか、崩壊してるけど、 その当時は、ファシズムへの、牽制として、 非常に、有効で、もっかして、 今の、時代の、自由や、平和について、 何かの、礎になってくれてんおかなぁ、と思った。 左翼的な映画だとすると、多喜二=キリスト的な、 ドラマツルギーを感じて、そのまま受け取っては、 まずいんだろうな、と感じつつも、 「やなことは、やだ」といえる、 勇気に敬意を表したい。 なんかの、弾みで、徴兵制が敷かれて、 どっかのVIPクラスのために、 死んでいくのは、絶対やだし。 やはり、「9条」を逆手にとっていきたいかも、 と思った。 それにしても、「多喜二」の比喩の巧みさは、 やはり、映画中にも、触れられていて、 「ただ、巧みなだけでなく、労働者の視点を通した、汗臭い比喩」 と評されていた。 これは、ほんとにそうで、 映画中にでてきた「小樽の海」と 小説内で、想起させられた海が、まったく、同じ色だったことから、 たんなる絵的な巧さではなく、 身体性という回路を通した実感に根付いた、 描写力だと、思った。 それにつけても、最近、妙に、満州帝国って、なんだべ? みたいな、興味をかんじつつある今日このごろ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 28, 2005 08:50:21 AM
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