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『ああ、切り口に砂糖が来る、血の上を白い粒が走る。
砂糖のじゃりじゃりが削ったばっかりの歯の上で結晶のまま、 四五日ここにいてやろうかというように、 舌で触ると、舌に向かって、「光る」。 ふうん触感で光るということがこの世にはあるんだね、ふうん』 ―笙野頼子 しょうのよりこ、読んでると頭が痛くなるような、 境界超えまくりの、ごった煮文学。 しかし、強力な牽引力がある。 この文章は、その、ごった煮コトバの中から、 わりと、わかりやすく、輪郭を伴って、 こちら側に、飛び込んできた。 口の中に、異物がいると、触覚が視覚になる。 ここに、驚いた。 そこで、よくよく考えると、 視覚が触覚になることもあれば、 聴覚が痛覚になることもある、 感覚というのは、つまるところ、 身体が感じる何らかのトーンや、 質感、音符のようなものかもしれない。 文字も、写真も、音楽も、映像も、 0と1のデジタルに変換できるけど、 触った感じや、匂いは変換できない。 しかし、文字によって、 触感や、見えない映像や、 血の味や、砂糖の味、 舌が口腔を感じや、 血に混じった砂糖の不穏さが伝わってくる。 「それそのもの」がなくても、 「それそのもの」の関係を捉えられれば、 「それそのもの」を召還、喚起できるのかもしれない。 『砂糖のじゃりじゃりが、舌で触ると、舌に向かって、「光る」』 これ、すごい、好きなのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 15, 2008 11:55:30 PM
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