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テーマ:懐かしのフォークソング(685)
カテゴリ:未整理、その他
今日で『懐かしのフォークソング』と言うテーマで日記を書き始めて20回目になります。その殆どがさださんの曲で占められているのですが、少々行き詰まりの感があります。と言うのも、まず一番目に『懐かしのフォークソング』と言うテーマなのでその主旨に従えばさださんの曲にしても限定されてくる。二番目に著作権の問題で歌詞の一部でも引用できないので表現方法が限定される。三番目に持っていた書籍など処分した為、古い歌の背景などが判り難くなっている。以上の事と本サイトの目的『レトロ』を取り上げる主旨から後数回でさださんの歌を取り上げた日記を取り止めたいと思っています。この企画が何処まで続けれるか判りませんが、そう言う事ですので宜しくお願いします。
今日はさださんの『邪馬臺』と言う歌を取り上げたいと思います。 この曲は1981年発売のアルバム『うつろい』に収録されていて タイトルは魏志倭人伝に書かれた、古代国家『邪馬台国』の事で 歌の内容はこのアルバムが発売される前年に亡くなられた盲目の 作家 宮崎康平氏の事を歌っています。 宮崎康平氏は1976年発売アルバム『三年坂』にも収録されている 『島原の子守唄』の作者であり、邪馬台国ブームを作ったと言われている『まぼろしの邪馬台国』の著者でもあります。映画『解夏』はさださんの実体験と病気の為、盲目となった宮崎康平氏がモデルになっているのかも知れません。 歌の内容は、前半が宮崎康平氏がさださんに『邪馬台国』の話を語る情景が回想として歌われているのに対して、後半は亡くなった宮崎康平氏が小さな船に乗って静かに海を見ているシーンと宮崎康平氏が憧れた人(多分、邪馬台国の女王卑弥呼)が宮崎康平氏を抱きしめている夢を見たと言う事が歌われています。 当時のアルバム『うつろい』のライナーだったか、さださんが書かれた本だったか、さださん自身が話されていたのか記憶が曖昧なのですが、宮崎康平氏が亡くなられた時に起きた不思議な話は記憶にあります。それは、宮崎康平氏が病院で亡くなられた時に自宅に置いていた筈の愛用の杖が誰も持って来ていないのに何故かベットの傍にあったと言う物です。誰かが持って来たのに忘れていたのでしょうか?それとも、飛梅伝説宜しく、愛用の杖が主の死を知り一瞬の内に飛んで来たのでしょうか?私個人としては、後者の主人の旅立ちに杖がついて来たのだと思いたいです。 宮崎康平氏の『島原の子守唄』の詞と意味が『Website ボルネオ研究』と言うサイトの 『島原紀行』と言う所に書かれています。 http://www.borneo.ac/ 今日の気になる一品はレトロにも程がある?邪馬台国や大和朝廷にも献上されたとされる米のルーツ『赤米』です。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年04月09日 18時20分24秒
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