153041 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Tano1987

Tano1987

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2020.02.26
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
​​​ーーーー初めてのことーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

山暮らしを初めて33年間、
冬場は電気アンカか電気敷き毛布を使ってきた。

ところが、この冬はそれらを使わなくて済んでいる。
体質の変化か暖冬のせいか・・・、不思議。

ただ1つ変わったのは、
ベットの布団の足元に羽毛シュラフ(寝袋)を敷いたこと。




さぞかし電気使用量が少なくなっただろうと思ったが、
昨日の検針では昨年とほぼ変わらなかった・・・、あら不思議。

ーーーーバックパッカーno.12/男も愛嬌ーーーーーーーーーーーーーー

1973年
6月20日

1年後の3月迄にボク自身は自力で30万円貯めた(ガンバった)。
当初の予定では資金の不足分(30万円)は、

東京での保証人のナカヤマ(税理士)
さんが出してくれるという約束で、
両親の立会いのもと彼がそれを確約してくれた。

実は両親に話す前にナカヤマ(故人)さんにこの計画を話すと、
おもしろい、ぜひ行って来い!、
俺も一緒に広島に行って説得してやる

と云って2人で飛行機に乗って帰郷した。
(いつもは新幹線だが、実はこの時、初めてYS11に乗った)

ナカヤマさんと共に帰郷して話があると、
ボクから電話をもらった両親は、何事だろうと身構えたそうだ。

で、話は最初のように、
不足金は俺が出すので、ぜひ!行かせてやってほしいとなった。

その時、まず56才の親父は反対!。
理由は、
サラリーマンの自分がこの先いつまで働けるかわからない。
自分たちの老後を考えれば学費援助が難しくなる。

(果たして65才まで務めた)

公務員だった53才のオフクロは賛成!
理由は、
あなたの人生だから思うようにやりなさい!、
また反対しても何としてでも行くのだろうから!
(受験前に東京の大学に行きたいと云うと、
    父母は同じようことを云った記憶がある。


ナカヤマさんの力強い口添えもあり親父も渋々承知。
これでボクの海外行きは決定した。

東京に帰り休学の手続き(授業の1/2の3万5千円支払い)、
下宿の引き払い(友人に引き継ぎ)、
復学に備えて本やレコードなどの荷物の保管の友人への依頼、
渡航のための準備やオリエンテイリングとバタバタと日々過ぎた。

ところが、ナカヤマさんから一向に資金援助の話が来ない。
時間はどんどん経っていく。

そして出発2週間前に彼の事務所(東中野)に出向き、
確認すると、都合がつかなくなった。
(記憶では目の手術などで費用が嵩んだとかなんとか・・・)

ガッガーン
!ー

今になって、どうして、どうして、どうして〜。


​えいー
、ままよー!。
ここに至っては当初の予定どおり出国することにした。
もちろん、親には言わずに。

​​​​​
もし計画通りに50数万円のトラベラーズチェックがあれば、
イギリスのビザも6ヶ月すんなり取れただろうに・・・。

参考:
保証人制度
 1970年代当時に大学入学の際に、
 学生生活で何か問題が起きた時に直ぐに連絡が取れる人として
 東京での保証人の提出を求められた。
 (居ない人はどうしたんだろうか・・・。)

ナカヤマさん(故人/ボクより12才年上)
 立教大学時代は野球部(キャッチャー)、相撲部に所属。
 衆議院議員・花村四郎の書生、私設秘書。 

 その後税理士になり事務所開設。
 後に芸能事務所も併設。

 数社の大企業、商店の顧問税理士(主に飲食業)。
 兄が東京時代にお世話になり、
 高校時代に紹介され、引き続きボクがお世話になった。

 多くの学生・若者が彼の事務所に出入りしていて、
 幾多の武勇伝有り。

 ボクと違い右翼的傾向が強く、情で物事を語る。
 嫌という程議論をしたが、それ以上におもしろい人だった。
 彼について語ると三日三晩かかるし、
 本筋ではないので。このあたりで・・・。

つづく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
      






​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.02.27 23:25:46



© Rakuten Group, Inc.