ーーーーお知らせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コロナ、コロナで大騒ぎは仕方のないこと。
ここは皆さん、じ〜として居よう、と。
この3月から通常営業になりました、と声高に叫んでも、
タボクたちはコロナに関係なく季節的に半冬眠状態。
でも、お知らせします。
3月からは通常の水、木、土、日の4日営業です。
但し、また4月からは変更です。
4月からは土、日と第1、2水曜日、または第3、4木曜日です。
祭日は営業。
1973年
8月1日〜8月8日
London
安いYH(ユースホステルは)はいっぱいで、やはり宿には困った。
宿探しの途中、たまたまアメリカ人の兄弟と知り合う。
彼らも情報を持っていたが、
とりあえずはボクが持つ情報のDevonshire地区(デボンシャー)に
あるホテルに行ってみようと3人で行く。
幸いにも部屋があり、1日目の宿はこのホテルに決まった。
このホテル(これも資料がない)はイギリスの1つの州が経営していて、
Bath付きで綺麗な割には安かったが、
£1.9(1,292円)でYHと比べれば数倍高かった。
1日800〜1,000円の生活を目指すものとしては厳しかった。
参考:1958年当時、小田実はYHを使って1日1ドルの旅を目指した。
時代は変わって1973年のボクたちは1日3ドルの旅を目指した。
参考:日本にもこの手のホテルはある。
母校の大学の裏手にある島根イン青山。
島根県民は半額(6,100円)で宿泊できる。
(島根県民はいいな〜)
以前はリーズナブルな価格だったが、
東京オリンピックに備えて改装してぐ〜んと料金も上がった。
2日目はアメリカ人の兄弟の情報で、郊外の民家に宿をとった。
(これも資料がない)
日本で云うところの民宿。
1部屋に2段ベットが5ヶ位あり、まるでタコ部屋。
おそらく30〜50人位のバックパッカーが泊まっていた。
シャワー室はあまりにも汚く使うのを躊躇するぐらいだった。
夏場のロンドンは皆がいうようにCRAZYなのだ。
それでも満室で、ぎゅうぎゅう詰めだった。
ルーム案内の若者が飛び回っていた。
その分、安かった。
2日目に下記のGO-AS-YOU-PLEASE ticket(7日間) を買う。
あの当時£3.8(2,584円)。
ネットで調べれば、為替の関係で現在£13.5(1,890円)。
さらに調べれば、現在東京では地下鉄のみで、
外国人向け2日間(48時間)1,200円。
今、インバウンドが叫ばれるが、
この点はロンドンの方が50年先を行っている。
はるかに外国人旅行者にとっては安くて便利だ。
この1週間はロンドン観光。
普通の観光客になって蚤の市や美術館などのロンドン名所観光。
大英博物館(見切れないので、スコットランドの帰りにもう一度寄る)、
バッキンガム宮殿の衛兵の交代式、
マダム・タッ・ソー(どううてことはない)などなど。
いくら沈み行く太陽といえども、
嫌という程、大英帝国の力を見せつけられる。
あの当時、日本はRISING SUNにかけて、
日産車のイギリス進出に際してRISING DATSUNと揶揄されていた。
(訂正:揶揄ではなく脅威に感じたのか・・・)
それから数十年後に完全に日本車に駆逐された。
(1980年代初めまで日産車は海外ではDATSUNブランドで出す)
ただ一方で文化的には革新的でもあった。
純粋に演劇というよりも好奇心(助平心)も手伝って、
世界初のnaked comedy musical「Oh! Culcutta!」を観に行く。
(ロングランの本格的なミュージカルですぞー)
ただ貧乏旅行者は後部座席で何が何かはっきり見えない。
前席はアラブ系で占められ、場所場所ではオペラグラスを持参。
今思えば、これもどーてことはないけど、そういう時代だった。
興味のある方はYouTube 「Oh! Culcutta!」をどうぞ。
日記には、
ロンドン中心部のSt.JamesParkとHyde Parkなどの公園で、
毎日、朝と昼をご飯を食べる。
と云ってもパン、オレンジジュース、そして肉の缶詰(ランチョンミート)。
この街ではレストランに入らず、Winpyに3、4度足を運ぶ。
節約、節約、
とある。
Winpyは日本にもあったらしいが1990年代に撤退したらしく、
イギリスを旅された方は懐かしいのでは。
ある日、公園で昼ごはんを食べていると、
若い日本人(ハギワラ君)に話しかけられた。
ジーパンを買いたいのだが、付き合ってくれないかと。
聞けば千葉商科大学の学生で大学主催の語学ツアーに来て居て、
その日はフリー行動。
暇だし、好奇心もあって半日フリーマーケットで彼に付き合った。
別れ際に、お世話になりました、とお金を差し出されたが、
さすがに図太いボクでも貰うわけにはいかなかった。
その代わり、食べ物をテイクアウトしてご馳走になった。
さて、記録もなく、全く記憶がないのは泊まった場所。
3日目からどこに泊まったのだろうか。
記憶にないということは記憶したくないことの裏返し!?。
記憶に残らないぐらいボーとして退屈な日々だったのかも。
そのうちに資料が出てくるかもしれないが・・・。
ロンドンは物価が高いし、それにやや退屈して、
8月6日、いよいよエキサイティングなスコッランドの旅に出る。
ネッシー、待っていろよー。
つづく。