カテゴリ:暴言繚乱
情というものがさっぱりわかりません。
だいたい、世間においては 情のある人間のほうが「よい人間」ということに なっている気がしますが、いかがでしょう? みんなそのことを知っていて、 情の深い人間であることを お互いに主張しあったりしてないでしょうか。 テレビの扇動的な編集にも気づかず、 それらしい話を聞いては、 「かわいそう」だとか「泣ける」だとか 「〇〇してあげたい」だとか 「私は人の感情を共感することができますよ」的な主張が あふれかえってないだろうか。 あまりにも浅薄すぎる。 「やっぱり親子の愛情というものは どこの国でも同じなんですねぇ」なんて オマエ、どんだけ調査したんだっつーの!! 勝手に普遍化するなよ。 たとえば「親殺し」は ほんとうに「痛ましい事件」なのか? そういったことは問題にされない。 「痛ましいに決まっている。お前にはココロがないのか」 といった回答。 そして決まったように、 「最近の若い人は想像力が欠如していますね・・・」 アンタは脳みそが欠如してるよ。 もっと考えなきゃダメだ。 常識知ってるフリしたってダメだ。 自分で考えるというのはすごく難しいのだ。 自分で考えてるつもりでも、 すぐに常識にのっとられたりする。 本質的には、「自分で考える」ことは できないかもしれない。 しかし、自分で考えようと努力しなければ、 なんの考えも生まれない。 煽られてはいけない。 疑義だ。疑義をはさめ。 感傷的なつくりにたいして盲目的に涙してみせることが 愛情のある人間ということではないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月22日 10時27分07秒
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