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カテゴリ:東海道53次
前夜は岡崎の旅友と英気を養い、今日は御油宿から岡崎宿を目指すが20km強の距離
を歩く。今回が延べ日数22日目の道中記です。 10/15(火) 5:34 ホテルの窓から朝陽 6:43 ホテルで6時半から朝食を取り早々に出発。 乗車予定が6:53のため急いで名鉄東岡﨑駅へ向かう。 朝はひんやりとしていたが二人供短ズボンの半そで姿 乙川に架かる明代橋の「明代橋北交差点」 6:45 明代橋から下流を望む、岡崎城が小さく見える 「ようこそ、岡崎へ」の大きな看板 6:48 予定の電車に乗り遅れると30分後になるので急いで歩いた。 名鉄線普通旅客運賃表 名鉄は愛知県と岐阜県を基盤とする大手私鉄で、民営鉄道としては日本で3番目の 歴史を持つ老舗企業である。 営業距離数(JRを除いて)は、2000年以降赤字路線を廃止して、平成17年(2005)4月 以降は近鉄・東部に続く3位である、駅数では近鉄に注ぐ2位となっている 東岡崎駅から8駅先の「御油駅」までの切符を購入。 消費税が上がる前までは400円であったが、410円に値上がり 名鉄名古屋本線の豊橋・豊川稲荷方面の「普通 伊奈」6:53へ乗車 御油駅は普通電車のみが停車。 今日はこの後この区間を歩くのだが 次の電車は7:21までない 7:09 車内は学生が多かった 7:20 名鉄御油駅へ到着 前回9/26にここまで来ていたので、今日はここから岡崎宿へ向けて歩く 御油駅前の「御油宿・赤坂宿観光案内」 豊川市観光案内 7:26 旧東海道へ向けて移動するが、まだ時間が早く人通りが少ない 前方に県道374号線 7:28 県道374号線の音羽川に架かる新御油橋 橋の高欄に銅板の浮世絵「東海道53次 御油」 音羽川の上流側、左側に「御油の松並木資料館」、青戸橋 新御油橋 二級河川の音羽川 当時は木造の橋で川岸に大きな木があるが 音羽川の下流側の旧東海道に架かる御油橋 豊川市の「あめ用マンホール」 デザインは、かわいい傘とてるてる坊主 おすい用マンホール デザインは、松並木、東海道膝栗毛に登場する狐 7:37 御油宿の説明板 この場所は、本陣鈴木半左衛門家跡地です 御油宿は、江戸時代に徳川家康によって整備された江戸日本橋から京都三条大橋を結 ぶ東海道の35番目の宿場です。次の赤坂宿とは御油のマツ並木(国指定天然記念物)を 挟んで、わずか十六町(約1.7km)と東海道の宿場間では最も短い距離です。当初、両 宿で一宿分の役割を果たしていた時期もあったようです。 天保14年(1843)頃の御油宿の家数は316軒で、本陣が2軒(元は4軒あったが、うち2 軒は天保4年の火事で焼失)、脇本陣はなく、旅籠屋は62軒でした 7:38 旧東海道(県道374号線)を進むと「イチビキ株式会社 第一工場」 所在地:愛知県豊川市御油町美世賜210 名古屋市熱田区に本社を置く調味料メーカー 事業内容:みそ、即席みそ汁、しょうゆ、たまり、夏つゆ、鍋つゆ、おこわ、釜めし の素、惣菜等の製造・販売 工場の片隅にある??? 7:40 旧東海道(県道374号線)に東林寺の案内表示 ← 50m 旧東海道から南側に入り 東林寺(とうりんじ) 所在地:愛知県豊川市御油町今斉28 浄土宗 東林寺 室町時代の創建で、本尊の阿弥陀如来など多くの文化財があります。また、宿場の 繁昌のかげで働いた飯盛り女たちの墓もある 本堂の扁額「普益?」 東林寺は、室町時代の中頃の永享年間(1429~1441)に龍月日蔵和尚によって創建さ れ、当初「洞元庵」と呼ばれていました。 本尊の阿弥陀如来は、鎌倉時代初期の中央仏師の作と推定されています。言い伝えに よれば、この如来像は奥州に下る牛若丸(義経)と契りを結んだ三河矢作の浄瑠璃姫の 念持仏で、龍月日蔵和尚が当寺に移し、本尊として祀ったとされています。 この寺には、徳川家康が二度も立寄っています。また、芝増上寺の管長祐天大僧正が たびたび訪れていることからも、当時の隆盛ぶりをうかがい知ることができます 本堂の鬼瓦 7:45 東林路の東側にある「清海寺」 所在地:愛知県豊川市御油町河原畑15 西国三十三所観音、九番札所 千手観音 曹洞宗龍雲山清海寺 本 堂 清海寺から東林寺 東林寺の白壁 7:50 旧東海道(県道374号線)に戻り、連子格子の古民家。 街道の先に「御油の松並木」が見えてくる。 北側を国道1号線が並行して走っており渋滞を逃れて、この狭い街道に車が多く入る 7:52 御油の松並木手前にある「十王堂」 御油宿から岡崎宿ー続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.01.18 14:37:22
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