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おじん0523のヒロ散歩

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2020.02.02
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カテゴリ:東海道53次
今日のゴール点「七里の渡し場(熱田湊跡)」へ到着、ここまでの今日の歩行数は、
35,500歩であった。この後、名鉄熱田神宮前駅から名鉄豊明駅へ。

11/23(土) 16:15
宮の渡し公園『七里の渡し舟着場跡』
宮から桑名までの海路「七里の渡し」の湊があったところ。名古屋城下町の玄関口で
もあり、人と物資の輸送で重要な湊で熱田湊と呼ばれていた。
海路7里(約27km)は通常時のコースの距離で、大潮の干潮時には船は大きく沖合を迂
回したので10里(約39km)の渡しとなった。船は40人乗り、47人乗り、53人乗りが
あり、4時間~6時間の船旅だった


左下からの黒い線が旧東海道


宮の渡し公園


七里の渡しの熱田湊常夜燈
川は堀川で進むと伊勢湾「名古屋港」へ


松尾芭蕉と七里の渡し
松尾芭蕉(1644 ~ 94)は、日本を代表する俳人で「野ざらし紀行」「おくの細道」や
「古池や蛙飛び込む水の音」などの句が有名です。
旅の初期に熱田に度々訪れ、林桐葉(現熱田神宮南門付近)の計らいで、名古屋、鳴海
の門人たちと交流。七里の渡しから舟遊びで、あゆち潟(愛知の語源)を楽しみ、熱田
三歌仙を残しました。
 「この海に 草鞋捨てん 笠しぐれ」     妙安寺石碑
 「海暮れて 鴨の声 ほのかに白し」     妙安寺石碑 五・五・七
 「なんとはなしに 何やらゆかし すみれ草」 宮中学校石碑
この舟遊びで、五・五・七の歌などを開拓し、生涯作風が十二たび変化する「芭蕉の
時代」となるきっかけが生まれました。後に名古屋が「芭蕉発祥の地」と言われる由
縁です。また、熱田神宮が「蓬莱宮」と読んだのに因み、芭蕉は名古屋を(京都から
見て)蓬左として、書状などに度々使っています


宮の宿とシーボルト
ここ宮(熱田)の宿・神戸の浜から桑名宿まで東海道では唯一の海上七里の海路で、東
西の人々の行き交いが盛んであった。
名古屋の本草学者水谷豊文、その門下生伊藤圭介、大河内存真らは、ドイツ人医師シ
ーボルトが、文政9年(1826)2月オランダ使節に随行して江戸へ参府する際と、4月長
崎への帰路、宮の宿で会見し、教えを受けた。
彼らは名古屋の医学・植物学の研究に多大な貢献をした


公園の隅に咲く花


七里渡船着(尾張名所図会)


この絵は七里の渡しを描いたもので、道沿いに並ぶ旅籠屋などの家々や、岸につなが
れた船、道を行きかう人の多さから当時のにぎわいがわかります。
この渡し場は城下町名古屋の玄関口としても人と物資の輸送の面で重要な役割を果た
し、そのため尾張藩は東・西浜御殿のほか、浜鳥居の西に船番所、船会所などの役所
を設け、船の出入りや旅人の姓名などを記録していました


時の鐘と熱田湊常夜燈


七里の渡し舟着場跡
江戸時代、東海道の宿駅であった熱田は「宮」とも呼ばれ、桑名までの海路「七里の
渡し」の舟着場としても栄えていました。
昭和58年に復元されて往時の名残りをとどめています


歌川広重による「東海道五十三次」の中にも、宮の宿舟着場風景が描かれており、当
時の舟の発着の様子を知ることができます


熱田湊常夜燈


熱田湊常夜燈
この地は宮(熱田)の神戸(ごうど)の浜から、桑名までの海上七里の航路の船着場跡で
ある。常夜燈は寛永2年(1625)藩の家老である犬山城主成瀬正房(正虎)が、父正成の
遺命を受けて須賀浦太子堂(聖徳寺)の隣地に建立した。その後風害で破損したために、
承応3年(1654)に現位置に移り、神戸町の宝勝院に管理がゆだねられた。寛政3年(1
791)付近の民家からの出火で焼失、同年、成瀬正典によって再建されたが、その後
荒廃していたものを昭和30年復元した


東海道 七里の渡し船旅学習会が2006年から続けられている。
2019年は台風の影響を考慮して、11月23日(土)、24日(日)に開催。
この事業は寄付/支援金をいただいた方に限り、ご招待することになっている。この
航路は現在定期船がないため、特別に臨時航路を申請、許可を受けた上で実施。
なお、寄付/支援金の金額はお一人5,000円。
2019年の受付は
第一次募集:3月25日~5月10日
第二次募集:6月11日~


運行は一日2便で、定員は各48名
熱田(宮):七里の渡し跡から、桑名:住吉神社南側船着場
11月23日(土)
熱田発:9:30頃、桑名着:11:30頃、桑名発:12:30頃、熱田着:14:30頃
11月24日(日)
熱田発:10:30頃、桑名着:12:30頃、桑名発:13:30頃、熱田着:15:30頃
ボランティアで運営しているとのこと(以上、ネット情報)


16:24
七里の渡しの道を挟んだ北側にある「丹羽家住宅(旧旅籠屋 伊勢久)」
所在地:愛知県熱田区神戸町902


丹羽家は幕末のころ、脇本陣格の旅籠屋で、伊勢久と称し、西国各大名の藩名入りの
提灯箱が残されている。
正面の破風付き玄関は、かつての格式の高さを残している。屋根に上がっていた卯建
は戦災で破壊され、現在は袖卯建のみである。創建は不明であるが、天保12年(1841)
の「尾張名所図会・七里渡船着」には当家のものと思われる破風付き玄関のある旅籠
屋が描かれている。昭和59年、市の有形文化財に指定された


16:24
熱田荘
NHKのブラタモリでタモリもこの辺りを散策した


熱田荘
木造・二階建・切妻造・桟瓦葺平入り・正面庇付で、この建物は明治29年(1896)、
武藤兼次郎が建てた「魚半」という料亭であった。太平洋戦争中は三菱重工業の社員
寮として、現在は高齢者福祉施設として利用されている。
建造時期は新しいが、近世の町家の形式を継承しており旧船着場に面して建ち、先に
指定された丹羽家とともに、宮の宿の景観をしのばせる数少ない遺構の一つで、市の
有形文化財に指定されている


16:25
宮の渡し公園側にある『海蔵ダイイチ』


道路脇に『美容室 つや』
チコちゃんが国会議員だといいな!


大瀬子交差点を右に入り神宮前駅へ向かう。
真言宗 等覚院
所在地:愛知県名古屋市熱田区
幟には「西国三十三観音 大瀬子観音」


㈱渡月園の店先に
  ひと休み 宮の渡しの 茶店にて
     香りほのかに 渡月園のお茶


景清社(かげきよしゃ)
所在地:愛知県名古屋市熱田区神戸町402


景清は平家の侍大将忠清の次子で、腕力に優れていた。平家没落後、縁あって熱田の
地に隠れ住んだといわれる。謡曲「景清」では「尾張の国熱田にて遊女と相馴れ一人
の子を設く」とうたわれている。後年、景清は眼病を患い、失明したという伝説から
この景清社は、眼病に霊験があるとして信仰が篤い


16:33
国道247号線に戻り国道1号線の「熱田神宮南交差点」


熱田神宮南交差点角にある『圓福寺』
所在地:愛知県名古屋市熱田区神戸町301


圓福寺境内


円福寺は亀井山と号し、時宗。
元応元年(1319)足利市の一族とされる厳阿の開基で、足利尊氏も祈願所として堂宇
を建立したといわれる。
永亨4年(1432)9月、六代将軍義教は富士遊覧のため下向の折、当寺に三日間逗留し、
連歌会を催した。当寺にはこの時の連歌懐紙や尾張円福寺文書、伝小栗宗湛筆紙本墨
画豊千禅師図(いすれも県指定文化財)を伝えている。また、当寺は尾張二代光友の時、
芝居興行が行われたところで、亀井道場の名で知られる


16:34
国道1号線の「熱田神宮南交差点」の歩道橋上からの東方向


同、国道1号線の西方向


北方向(国道19号線)で、右前方は熱田神宮の杜


国道247号線の南方向


16:36
夕陽が下がる


夕陽をズームアップ





16:38
歩道橋を降り、国道1号線を東へ向かう


16:43
伝馬町交差点を北方向(県道226号線)へ進む、前方に多くの幟が立つ


秋葉山 圓通禅寺
所在地:愛知県名古屋市熱田区神宮2丁目3-15


曹洞宗のお寺で、広い敷地にある


先を急ぐのでほどほどに動く


県道226号線を神宮前駅方面へ進み右手に『きよめ餅総本家』
所在地:愛知県名古屋市熱田区神宮3丁目7-21
名古屋の名物のひとつ「きよめ餅」


16:48
名鉄神宮前駅舎


神宮前駅の歩道橋、森は熱田神宮


16:52
神宮前駅改札
ここまでの今日の歩数は、39,090歩であった。
急行 吉良吉田行き 16:58 に乗車


ホームで待つ


17:16
名鉄豊明駅へ到着
今朝、豊明駅前をスタートしてから神宮前駅まで、9時間13分、39,090歩を要したが
電車では神宮前駅から17分で豊明駅へ到着した。
いつもながら文明の力を感じる時だ!


豊明駅の系統図&値段表
神宮前駅から名鉄豊明駅へは、360円


17:25
名鉄豊明駅北口の駐車場に戻り、愛車で一般道を走り桑名のホテルへ向かう。
予想通り桶狭間辺りの国道1号線は渋滞、国道23号線を走り桑名の桑名パークホテル
へは19時に到着。渋滞のため、36kmを約1時間半を要した。
この夜の夕食もコンビニで調達して部屋で宴会。

                            鳴海宿~宮宿-END





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最終更新日  2020.02.02 03:00:06
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