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カテゴリ:東海道53次
関宿の散策を続けるが、人通りが少ない。
関宿の町並みは、江戸から数えて47番目の宿場町。江戸から明治にかけて建てられて200軒あまり の古い町家が今も残り風情ある雰囲気をかもしだしている。 1/21(火) 14:25 関宿の町並みの進行方向は緩い坂に 同じ場所から振り返る ズームアップ 弥次さんが街道右側の路地を入いる。 左下の道標には「不動尊 弘善寺」、道路面にも「弘善寺 60米」 14:29 露地を入ると『弘善寺山門』 所在地:三重県亀山市 弘善寺本堂 街道に出て振り返る(東追分方向)と、角にフランス料理の「Cercle セルクル」 ネットではランチが美味しいと Cercle セルクルの向かい側に、案内板には『御馳走場』 御馳走場は関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりした場所。関宿 には四カ所の御馳走場がありました。 関宿かるた「うち揃い 殿様迎える 御馳走場場」 手づくり郷土賞 建設大臣 野田 毅 歴史をいかした町並み 三十選 平成元年七月 鮮魚青果物商 遊快亭 昔は、この店と手前(一部のみ)の家が『開雲楼と松鶴楼』 この二軒は関を代表する芸妓置店でした。東側の開雲楼を見ると、表の竪繁格子や弁柄塗りの 鴨居や柱、こった意匠の二階手摺りや格子窓などにその面影を残しています 関宿町並みの北側に位置する「大井家」 街道方向を見る、左側に「大井家」 大井家は、代々玄庵を名乗り医家であった。明治初年には西洋医学を学び種痘医として、また 眼科、産科、内科医として地域医療に活躍した。「本草網目」など医学書の他、江戸末期の往 診用の駕籠、医療機器などの一部が遺されている 14:34 関神社 所在地:三重県亀山市関町木崎675 関神社について 明治5年頃、この神社は熊野皇大神社と呼ばれていた。 昔関氏の祖、実忠が紀伊国熊野坐神社の分霊を勧請したものと伝えられ、境内の梛(なぎ)の木は、 それに縁があるものと思われる。江戸時代には、熊野三所大権現と呼ばれた 境内に入り二の鳥居 関神社拝殿 拝殿の扁額「関神社」 関神社入口にある「木崎町(こざきちょう)山車倉」 関宿の山車は、最盛期には十六基あったが、現在は四台の山車が残り四カ所に山車 庫が残っている 木崎町山車 木崎町は関宿の東側の地域で、江戸時代には、神事構・宮構の二基の山車があり、各町の山車を 宮の前(関神社)へ曳き込む際の先達を交互につとめていましたが、明治時代に二基とも廃止され、 現在の木崎町山車にまとめられました。山車は、滋賀県水口町から購入したものと伝えられてい ます。山車前部には、参加する町内各組の名前が書き込まれた提灯が並べられ、山車の周囲を飾 る紅提灯には、「五七の桐」の図柄が用いられています。 見送り幕は、風景をあしらったものと、「がま仙人」の図柄の二種類があり「がま仙人」の見送 り幕を用いると雨が降ると伝えられています 木崎町山車は、現存する四基の中でも最も規模が大きく、四つの御所車の 上に囃手が座る囃場があり、その上に天場が乗る二層露天式といわれる構 造形式です 旧東海道に戻り街道の南側に「関の山車会館」 所在地:三重県亀山市関町中町531 関の曳山は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688~1703)から伝わるお祭りです。 最盛期には、16基もの山車があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾り付けて華美を競い 合い、また、笛太鼓で祭囃子を奏でながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行す る様から、「この上は無い、精一杯である」という意味が用いられる「関の山」という言葉の 語録になりました。現在、木崎町・大裏町(北裏)・中町三番町・中町四番町の四基の山車が保 存されており、祭りは毎年7月下旬の土・日曜日に開催されています 関の山車会館 山車庫には巨大な山車や関連のものが展示してある 入館料: 関の山車会館単独入館料 大人=300円、小人=200円 関宿旅籠玉屋歴史資料館・関まちなみ資料館・関の山車会館3館共通入館料 大人=500円、小人=300円 開館時間: AM 9:00 ~ PM 4:30 休 館 日 :月曜日(月曜日が休日の場合は翌日) 百五銀行 町並みに配慮した意匠の銀行。平成9年度、三重県さわやかまちづくり賞(景観づくり部門)を 受賞した 百五銀行 関支店 所在地:三重県亀山市関町木崎588 和洋レストラン 山石 所在地:三重県亀山市関町中町521 百五銀行関支店前 ??・明治・大正・昭和の雰囲気の中での???いかがですか!! 美味しそうな幟「名物 亀山みそ焼きうどん」 いい雰囲気であったが、生憎玄関先に「忌中」の貼り紙。 いつか国道1号線を走るとき立ち寄りたいものです、”9”の付く日はステーキ定食が半額! 営業時間:8:00 ~ 21:00 で、無休? 店の角に道標 南:関駅、東:江戸、西:京都 関町 関宿 の案内石が左下に 関町 関宿 国選定 重要伝統的建造物群保存地区 10周年記念 東海道のおひなさま 開催期間:令和2年2/15(土) ~ 3/7(土) 馬つなぎの環金具(わかなぐ) 玄関の柱に打ち付けられた馬をつないだ環金具。土台などの低い位置にあるものは、 牛をつないだものです。 関宿かるた「環金具に 手綱つながれ 馬や牛」 中町の町並みを進む 幟がたっており、人通りはないが商売はしているようだ 14:47 曹洞宗 瑞光寺 所在地:三重県亀山市関町木崎799 権現柿 関宿かるた「瑞光寺 今も実りの 権現柿」 瑞光寺中興開山豊屋永隆和尚は、三河国(現在の愛知県)宝飯郡に生まれ、幼少の頃 徳川家康と親交があった。 永隆の弟子隆眞が、元和元年(1615)に記録した「開山和尚伝」によると、家康は、 上洛の際当寺永隆和尚を訪ね、庭先の柿を賞味したことから、後世、この柿を「権 現柿」と呼ぶようになった。 瑞光寺は、応永4年(1371)の創立といわれ、小野川の上流にあったが、兵火により 焼失した。その後、永禄~天正年中(1558~1591)に、当時の亀山城主関安芸守盛 信が菩提寺として現在の地に移し再興したと言われている 瑞光寺本堂 本堂の扁額「瑞光禅寺」 観音堂鬼瓦 関宿かるた「平家の血 関氏家紋 揚羽蝶」 鐘 楼 手前に石柱があるが判読できず 14:49 観音堂と本堂(右) 観音堂の扁額 庄野宿~関宿-続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.03.28 03:00:05
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